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ライン随想録 QE2航海記・その3、豪華船のあらましと船上セミナー

1997/8/8  ライン随想録 スイス・バーゼルレポートより

随想録

7月27日午後5時半、英サウス・ハンプトンを出港したQEIIは一路ニューヨークへ。
船客1500人、乗組員1000人、7万ト ン、13階立て、3つのフットボール場をあわせた長さをもつこの船は慣れるまで大変であった。
当然詳細な地図が配ら れ、随所に案内板、スタッフも親切に案内してくれるが、自分の部屋からレストラン、バーなどへ行くのも最初はなん ども迷った。
レストランだけでも、Queen's Grill、Princess Grill, Britannia Grill,Caronia Restauant ,Mauritania Restaurant,The Lido,The Pavilionと7つもあり、バーもCrystal Bar、Yacht Clubなど、7 つもある。
指定したレストランに行くことになっているが、ほかで簡単な食事を選ぶこともできる。
船客のニーズに合 うよういろいろな行事も用意されており、たとえば、プール、フィットネス・ジム、エステ、ピンポン、ビリヤード、 コンピュータ・スクール、合唱、ダンス・スクール、などなど、たくさんある。
毎日配布される、ニュースレターで時間・場所が指定されているし、また船内放送、各室のテレビで案内が行われる。
ニュースレターは毎朝、ドアの下に滑り込ませるかたちで部屋に届けられる。

乗り組み員1000人の内訳は、ウエイター239人、ソムリエ18人、バーテンダー60人、大工8人、子守り2人、ベーカリー 16人、フィットネス・インストラクター5人、ミュージシャン22人、ローンドリー・洗濯17人、ダンサー10人、印刷4 人、医者2名、銀行3人、ライブラリアン1名(世界中でQEIIのみ)が、通常の航海士などに加えてのっており、まさに 一大観光都市の感である。
船長は市長か、外交官のような感じである。
船長は時折、放送で船客にあいさつするほか、 レセプションを主催、講堂で船客向けのインタビューまでして、サービスをしている。
QEIIは、わたしも知らなかったが、年に10回ほど、ニューヨークーロンドン(正確にはSouth Hampton港)間を往復しており、これだけで、年の半分くらいを使っているようだ。
お好みのかたは一度試してみて下さい。

われわれの航海の目的は、AFS(American Field Service)留学制度発足50周年船上セミナーに参加することで、今 回の乗客のほとんど全員がこの留学制度の関係者である。
毎日数百人が参加し、講堂・シアターで各種セミナーが開か れた。
7月28日・The AFS Story,7月29日・Volenteer Spirit,7月30日・We're all going global! 7月31 日・What Next?などの、テーマで講演・討議が行われた。

あまり関心のない人もこの読者に多いと思うので、要点だけにとどめると、この若いひとの国際交流制度は、国際間の理解をふかめ、平和を推進する上で貢献することを目的としている。
わたしも家内もこの交換学生の経験者で他のお仲間と交流も楽しかったが、第一次大戦、第二次大戦時の欧州戦線でのアメリカ人の救急車運転手(American Field Service)が戦後、交換学生制度をはじめるようになったいきさつに興味があった。
これには、第1日に、創始者の一人、Ward B. Chamberin, Jr.が講演で話してくれた。
彼によると、第二次大戦が終わり、数百人のボレンテ ィアーのアメリカ人救急車運転手が欧州からアメリカに帰ってきた。
この中に、DrinkerとThinkerの二つのグループ があり、Drinkerは、一緒に苦労をした仲間が、酒でも飲んで楽しく昔話でもしようというグループ、Thinkerは、こ の救急車運転のボレンティアー活動をわかいひとの交流による平和推進活動に結びつけていこうと言う、いわば思想家 で、この中心が1974になくなったStephan Galattiであった。
戦後、1946-47年ごろ、アメリカを中心に平和推進運動の一環として、諸外国の学生をアメリカに受け入れると言うボレンティアー活動が盛り上がった。
後に、アメリカー諸外国という図式から、マルティ・ナショナルの活動に展開していった。
今では、全世界に約一万人の学生交流がおこなわれているという。

いろいろなセミナーで、差別・区別の考え、はわれわれのこころの片隅に潜んでいる、これが戦争の芽になりうるとの指摘があちこちでなされた。
文化、政治のうえで、地域的な特性を生かしながら、グローバルな考えを持ちつづけることの重要さを唱えるひとが多かった。
ヨーロッパからの参加者が多かったせいか、欧州の政治・経済の統合が常に他の地域に対し開かれたものであるべきだとの意見が多くなされた。

AFS制度の活動では、白人、アジア人、だけにとどまらず、ブラック・アフリカを取り込むべきだ、留学生の自己負担分が増えてきたため、経済的に恵まれない家庭の子弟が排除されがちになるジレンマをどう解決するか、他の競合する留学制度との調整をどう進めるかが、議論された。

老齢プログラマの所感

若いころは自分には関係のない制度のように思っていました。
かつてだったら、井浦さんが参加したのが羨ましく思えたでしょう。
しかし今では、大学生の孫たちが短期留学したことで、すっかり身近になった感があります。

さまざまな留学制度のうち、高校生の生活体験型留学制度はASFが最も古いようです。
創業者たちが傷病兵の救護活動していて、戦争の悲惨さを実感したことは理解できます。
戦争を起こさせないためにはお互いの理解が必要なことも理解できます。
国際理解が必要なことも理解できます。
国際理解ために交換留学が効果的なことも理解できます。
しかし、「傷病兵の救助活動から、戦争を起こさないための活動へと転じたことで、交換留学制度が発足」とありますが、戦争を起こさないための活動がなぜ交換留学制度となったのかは、よく理解できませんでした。

戦争は、相互理解だけでなくなるわけではありません。
具体的な戦争を避ける行動をすることが必要な気がします。


補足

上の記事は1997年頃の「ライン随想録(井浦幸雄さん)」の復刻版です。
当時、私の故郷の住職の遺作「おふくろの味」を井浦さんがWebに載せて下さり、今は住職の息子によって公開されています。
当時、このようにお世話になったことを思い出し、復刻していました。

ある日突然、「ライン随想録」の目次が検索で見つかるようになりました。
しかし、ここから記事へのリンクが途切れています。
これが理由で、今まで検索しても表示されなかったのかもしれません。
そのため、復刻作業は今までどおり続けることにします。


【ライン随想録】
ライン随想録 クイーン・エリザベス二世号航海記- その2(大西洋上およびスイスから)(本記事)
ライン随想録 クイーン・エリザベス二世号航海記- その1
ライン随想録 内なる国際化
ライン随想録 欧州人の休暇の取り方
ライン随想録 欧州盆栽事情
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ライン随想録 たまごっち パート2
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