A4小説「マークシーター」
花木は限界を感じていた。ここ最近は成績が伸びず、夜間勉強していても気が散って集中力が続かない。そもそも勉強自体を面白いと思えない。次の試験は全国模試で、マークシート方式で実施されるものだった。いっそのこと一切勉強せずに丸腰で挑んでみようかとも思っていた。マークシートのような選択問題は「鉛筆を転がして」などとよく言うが、全ての問いに鉛筆を転がしていてはうるさくて迷惑だろうな、と試験中のことをイメージしていた。そのとき、すぐ後ろの席の十川のことが頭に浮かんだ。
花木のすぐ後ろの席に座る十川はとても平均的な男だった。学業の成績はもちろん、体力テストもクラスの平均。身長は20人中10番目。球技大会のソフトボールでは4打数2安打で、登下校においても早くも遅くもなく、いつの間にか来ていていつの間にか帰っていた。十川は実は気にしていた。自分では頑張っているつもりなのに何をやっても地味で目立たない。存在感がない。十川という名字も「直線ばかりで面白みがない」と思っていた。
「そがちゃん、マークシート得意だろ?」花木に声をかけられた十川は、マークシートが得意という意味がよく分からなかったが「僕に得意なことなんてないよ。」と答えた。「そんなことはない、そがちゃんにはマークシートの才能があるはず。マークシーターだよ。」
十川は名を順二という。十の2画目から順の3画目まで縦線が7回続く。これまで自分の名前を漢字で書くたびに7回連続で縦線を引いてきた。「な?書いてみろよ。」と言われ書き終えたとき、十川の目にはわずかながらも自信の光が宿っていた。
試験当日、花木は後ろの席から聞こえるコスコスコスコス…という音が気になって仕方がなかった。始まってすぐは静かなのだが、しばらく経つとまたコスコス音が押し寄せてくる。休憩時間に十川に聞いてみたところ「始めのうちに答えを考えておいて、あとで一気にマークするんだ。」と言っていた。「マークシート、得意なんだ。」と微笑んだ。試験は2日に渡って行われたが、最後の科目のときには、そのコスコス音は花木にとって心地よく感じるものになっていた。
翌月にはまた模試があったが、このときのコスコス音はまた違っていた。ただコスコスコスコスと聞こえるだけでなく、たまにコスッコッココス、コスッココスなどとリズミカルになり、前回よりも明らかにノッていた。花木は試験どころではなく、十川の打ち出すリズムとテンポに酔いしれていた。その後も模試のあるたびに鳴るコスコス音を、花木の身体は意図することなく吸収していった。
数年後、上がらない成績のまま受かる程度の大学に進学し、大きくも小さくもない会社に就職した花木は、高くも安くもない家賃のアパートで退屈に暮らしていた。休日に出かけた先で点描画のポスターアートを見かけたが、その右下には Junji Sogawa とサインがあった。そんなことに気が付くことのない花木は、立ち寄ったカフェでひとりコーヒーを飲んでいた。無意識のうちにトントントンと、あのコスコス音のリズムを人差し指で刻んでいた。しばらくして「そのリズム感を僕らのバンドで活かしませんか?」と声をかけられたとき、花木の目には小さい何かが宿ったように見えた。