Long Walk(4)西が丘散歩

西が丘と西ヶ原、この二つの似たような地名がずっと気になっていた。と言うのは母が戦前豊島区と北区の区境、西ヶ原に一時住んでいたとの記憶があったからである。この似たような地名がごちゃ混ぜになってしまっていたのだ。今回はジョギングではなく、ロング・ウォークとして西が丘を地図の境界線に沿って散歩してみた。その由来などを調べていくにつれて私の勘違いにやっと気づいたのだった。

この二つの地域は私がよく走っていたジョギングコースの一つであった。西が丘方面は赤羽西に向かうとアップダウンが多い住宅地で非常に良い運動になるコースで、西ヶ原は石神井川を下り飛鳥山公園を経由して駒込まで行くと桜や新緑、そして紫陽花の美しいコースとして長年親しんでいた。

この西が丘を地図で見ると次のようになる。左側の緑地はナショナル・トレーニングセンターと西が丘サッカー場。道路を挟んで右側は赤羽西に向かうにつれて坂道の多い地域になり住宅街となる。

北区の「歴史と文化財のリスト(飛鳥山博物館)」で、西が丘と赤羽西地区では坂道が文化財リストとして多く載っている。坂道は赤羽西地区が最も多く、その他では三箇所しかなかった。この地域はもともと山と崖と谷という高低差のある地形なので坂道が多くなっているようだ。文化財リストの載っている坂道は以下の通りでそれぞれに由来がある。
赤羽西の坂道ーかなくさ坂、道蛇坂、道野間坂、法案寺坂、鳳生寺坂、道中坂、道伝弁坂、富士見坂、道大坂、三日月坂、弁天池坂、庚申坂、真正坂、静勝寺の坂
十条仲原の坂道ー游鯉円の坂
中十条坂道ー清水坂
西が丘の坂道ー水車の坂

水道の坂

その解説によれば以下のようになる。
「現在は石段(北区西が丘2-27-12地先)となっていますが、昔はこの下に水車小屋があり、近くの農家が利用していました。水車に荷を運んできた馬が坂の途中から落ちて死んだこともあり、お稲荷さんと馬頭尊とが並んで立っていました。現在は稲付川も暗渠(あんきょ)となってしまい、水車もありませんが、石段は西が丘から十条銀座を通って十条駅へ向かう通勤の人でにぎわっています。」

この散歩の起点は環七の姥が橋交差点であるが、地図に沿って戻って、住宅団地の方へ行ってみた。スマホの地図に沿っていくと団地の建物が西が丘と他の住所にまたがっているところがあった。このようなの場合、住所は建物の占める面積が大きい地番、若しくは出入口があるところが住所となるようだ。

ジョギングでは通り過ぎてしまう風景も、散歩ではいろいろなことに気づき興味が湧いてくる。散歩している人が見受けられ、庭仕事をしている人も多い。余談になるが、途中偶然に懐かしい車に出会った。フォルクスワーゲンのタイプ3 である。タイプ3は1960年代に製造され、3つのボディスタイルがあり、画像の車はおそらくステーションワゴンのモデルと思われる。50年近く大切に維持して、おそらく現役で乗っているのではと思い感動してしまった。その当時日本ではいすゞ117クーペを除きスタイリングの良い車はなく、カッコいい車として記憶していた。

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