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シングルマザーががんサバイバーになった話-3

アベンジャーズシリーズを見終わってしまい、アイアンマンについて考察し始めた小学生の息子とふたりで暮らすシングルマザーのわがぶたです。

飼い始めた金魚の成長が著しく、息子が朝起きてから夜寝るまで水槽の前に居続けるので、研究者にでもなるのかと感じ始めました。
親バカです。

今回は手術日が決まるまでの術前検査のお話をしていきたいと思います。


12.14
悪性腫瘍と判断されたのが12/7。
それから最短で国立がんセンターの予約が取れたのがこの日でした。
悪性腫瘍と判断された後、すぐに連絡をしたのは姉でした。
1歳上の姉とはこの歳になっても毎日連絡を取り合うほどの仲です。もし私になにかあれば息子は姉の元に行くとお互いに話していたので、報告の意味を込めて連絡をしました。

仕事中だろう姉はすぐに返事をくれました。

『お互い60歳になったら、フィンランド行くんだよ』

それだけでしたが、帰りの電車で涙ぐむほど力強い励ましでした。

この日は今後の検査の話、手術までのスケジュールをされて終わりでした。
というのも、先3ヶ月はベッドに空きが出ないとのことで、どれだけ術前検査を急いでも仕方ないとのこと。
とはいえ急にベッドの空きが出る可能性もあり、そこまでに検査が終わっている方が優先されるので計画的に進めましょう、と。

前々回でもお話した通り、私、手術日まで傷みも苦しみもなく、なんなら虚偽の診断をされていると思っていたくらい元気でした。
(検査の造影剤が合わずに寝込んだりしましたが、病気自体の苦しみは本当に皆無でした)

そのせいか不安も心配もありませんでした。
術前検査で有給は消え、手術入院が長かったので金銭的な不安はありましたが体調に関する心配はありませんでした。

それでも姉のこの返事はスクリーンショットを撮ったくらいうれしいものでした。
誰かの未来に自分が居ることを実感したのだと思います。

息子はいつか家を出る。
再婚のつもりもないし、老後はひとりの覚悟です。それを悠々自適だとさえ思っていましたし、正直息子が社会人になったらスイスに行こうかと考えて調べていました。

でもここで初めて60歳まで生きないとなぁ、と生を噛み締めました。


主治医に聞いた話によると、コロナ禍明けからがん検診を受ける方が急増したそうです。そのためベッドも空きがなく、初期発見の私は優先されなくて仕方なかったのです。
幸いにも若いので体力もあり、症状はない。検診を受けなければ日常を送っていたはずです。

話が前後してしまうのですが、術前検査が終わったのも入院日が決定したのも2月でした。入院したのは3/1です。

がんセンター受診初日にスケジュールの計画を立てたにも関わらず、検査の予約が思ったように取れなかったのです。

これを受けてからじゃないとこの検査は受けられないから、と順番を説明されたのですが、健康を取り柄に生きてきたような人生でしたので検査名にも全くピンともポンともきていませんでした。

なので予約が思うように取れなくても、毎回ある診察で腫瘍がどんどんと大きくなっていっても、なんと感じればいいのかわかりませんでした。
主治医も「若いですしね」としか言わなかったので、そんなものかと思うしかない。そんな日々でした。

結果、発見時1cmにも満たないと言われていた腫瘍は手術直前の診察で1.8cmと言われました。誤差の範囲内なのか、3ヶ月弱で0.8cmも大きくなることがあるのか、未だに聞けないままでいます。
ただ、私の血縁関係にない親族に乳がんが発見されたときは悪性腫瘍と判明して3日後には入院していたので、手術をうける病院選びも大事だと思っています。


お読みいただき、ありがとうございます。
9月からリンパ浮腫からなのか炎症による発熱が続いていて、治療中で仕事もほぼでれていない状況です。
そのため、しばらく1回ごとの内容が薄かったり、短かったりするかもしれませんが……お手隙の際に覗きにきていただけるとうれしいです。
フォローやいいね、とても励みになっています!本当にありがとうございます。

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