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シングルマザーががんサバイバーになった話-2
お祭りでとってきた金魚を飼い始めた小学生の息子とふたりで暮らすシングルマザーのわがぶたです。
さて、なんと我が家に仲間が増えました。金魚のトンとパンです。
最初1匹だけだったのですが、「寂しいのは可哀想」とお小遣い握りしめてお友達をとってきました。お陰様で母は急遽水槽やらなにやらを準備して途端に金欠です。
ランドセル下ろして手洗ってすぐに水槽の前に向かう姿は健気ですが、いいから早く宿題せえとも言いたくなりますし、難しいですね。
水換えもフィルター掃除もご飯も自分で調べてやると言い切ったので、見守りながら手を出していきたいと思います。
今回は、悪性腫瘍が見つかったことを子どもに話したときのことを綴りたいと思います。
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11.16
細胞検診が終わったタイミングで、息子をリビングに呼びました。
ゲームをしていたのかテレビを見ていたのか、私は家事をしていまして、バラバラの時間を過ごしていた記憶があります。
この時点で、悪性腫瘍かの判断はついていませんでしたが、築地へ転院すればほぼ毎週2〜3日の術前検査があります。
たぶん、ある。悪性腫瘍だ。
なんとなくですが、そうわかっていました。
自慢でもなんでもないのですが、勘が鋭いんですよ、私。
タロット占いでも欲しいカードを引いてしまうので、やめたほどです。
さて、話を戻します11/16は木曜でした。
次の日、私は仕事だし息子は学校です。
改まって、かしこまる必要はないと感じていました。
私は治るし、息子の成人式も見る。そんな覚悟じゃないです。
私が居なくなっても、この子は困らない。
シングルマザーになるときに決めていたことがありました。
『もし万が一私になにかがあって、この子が誰かの家庭で御世話になったときに迷惑をかけない子に育てよう』
だから今、息子は家事洗濯ができます。簡単なものであればご飯も作れるし、白米は私よりも上手く炊けます。
そして私は離婚をしたときから子どもに、そのことを伝えてきました。
なるべく傍に居る。傍にいたい。
でも交通事故とか、どうしても防げない別れがある。
そんなとき、あなたはちゃんと羽ばたいていける。自信を持ちなさい。
そう言い続けてきました。
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話を終えた後で集中していない感じでしていたゲームをとじ、私の前に来て正座をした息子は「なんとなく、わかってる」と小さな声で言いました。
「かか、死ぬの?」
真っ直ぐに、そう聞かれ私は首を振りました。
ありがたいことに予後のいいがんというお話ですし、治療は長いですが悪性腫瘍だとしても初期なので寛解も見こめていました。
「今のところ死ぬ予定はないよ。もし万が一かかが嘘をついていて死んじゃっても、おばちゃんとかばあばが居るから大丈夫」
「かかが居ないなら、僕はひとりだ」
いつもニコニコピースフルボーイの息子が、感情的に大泣きをする形ではなく、しくしくと、涙を流しました。おそらく私が居ない未来を想像したのでしょう。
奇しくもこの日は、息子の誕生日3日以内でした。
とはいえ、絶対に死なないとはいいきれません。
私は息子に「行きたいところ、かかとしたいこと、全部教えてね」と伝え、まだまだ小さな身体を抱きしめました。
それしか出来ることがありませんでした。
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がんサバイバーの集いでは、敢えて「言わない」選択肢をとるかたもいらっしゃるとお聞きしました。
入院中の団欒室で、「〇〇ちゃんにね、なんでママに会えないのって聞かれるよ」という会話を何度か耳にしました。
子どもに背負わせるには、かなり重い。
しかも長期休暇前の荷物とかじゃなくて家に着いたら置けるわけじゃない。
ずっと背負わなければならない荷物を話すべきか、とても悩みました。
でも直前の夏休みの家を失った経験から、
『この子とふたりで生きていく』
という気持ちが強まったので、隠すという選択肢が思い浮かばなかったというのが正解かもしれません。
私が退院してから薬が全く合わずに、キッチンで激しい目眩を起こしたことがありました。
すると息子は家中のクッションをかき集めてきてくれたり、
リンパ浮腫がひどく腕が上がらないときは洗濯物を干してくれたり、
通院のときには「心配だから行く」とオンライン授業にしてもらって通院についてきてくれます。
学校行けよ、というのですが「明日から、かかと急にどこでも出かけられなくなりましたって言われたら後悔する」との息子の気持ちもわかるし、成績落ちるまでは甘えようかな、と思います。
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実は息子が1番不安を話していたのは、ばあばの前でした。
がんかも、となってから毎日ばあばに電話して、がんについて教えてもらっていたようです。
それを聞いてから私は、「息子のために生きないと」と思うと少しむずがゆいなと感じました。
「それからの息子の成長と活躍をこの目で見たいから、生きますか」くらいがちょうどいい。
いよいよ次回より、術前検査が始まります!
またよろしくお願いいたします。
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貴重なお時間をいただき、お読みくださりありがとうございました。
スキなフォロー等、ご反応ありがとうございました。
またお手隙の際に覗いてくださいますとうれしいです。
※2024.10.5誤字・加筆修正いたしました。