韓国ドラマから考える「宣祖(十四代王)」と「光海君(十五代王)」、秀吉の侵略に泣いた王
・宣祖の劣等感
宣祖(十四代王)は、王になる前は、王になりたいとも、王になれるかも知れないとも思っていなかった。明宗(十三代王)には男の子が生まれなかったので、明宗の死後、明宗の父、中宗(十一代王)の孫、つまり明宗の甥にあたる河城君(ハソングン)に白羽の矢があたり、宣祖として即位したのであった。
それゆえに、頭脳は明晰であったにもかかわらず、周囲からいくぶん低く見られていたようで、本人としても引け目を感じていて、血の正当性という点においては、劣等感を抱いていたようである。
ドラマ「王の顔」では、観相師から王になってはならない顔だと予言されていたが、王になってしまった宣祖が、王の相を持って生まれてきた息子の光海君に嫉妬をしている。これも劣等感があるゆえに、作られた物語であると思われる。
宣祖の劣等感は政治にも表れている。士林派(儒学を修めて官僚になった文人)の中にできた東人(トンイン)と西人(ソイン)という朋党の間を、あっちについたり、こっちについたりしながら、その時の力のある朋党に頼り、王であることの強権は発揮できずに政治を進めている。これは朋党政治と呼ばれていた。
・秀吉の朝鮮侵攻(文禄・慶長の役 韓国名は壬辰倭乱)
豊臣秀吉が朝鮮に侵攻(1592年)する前に、宣祖は日本の状況を朝鮮通信使に調べに行かせている。帰ってきた通信使の調査の結果が、東人(トンイン)と西人(ソイン)では、まったく違っていた、西人は日本は必ず侵略してくると主張したのに対して、東人は日本が侵入してくるきざしは全くなく、秀吉は取るに足らぬ人物であると語った。当時は東人が政治の主導権を握っていたために、宣祖は東人の意見を採用してしまい、朝鮮は日本を恐れることもなく、まったくの無防備となってしまった。
そこに、日本軍が攻めてきたのであった。加藤清正や小西行長たちの軍勢は、朝鮮の南から入って、朝鮮軍を次々となぎ倒して、どんどんと北上してきた。これにあわてたのが、宣祖であった。宮殿である景福宮を抜け出して、北へと逃げるのである。それに怒ったのは、首都漢城の民衆である。民衆は、宮殿に火をつけ、景福宮は燃えあがる。このときの描写は、ドラマ「ホジュン」に詳しく描かれてある。
この時、宣祖は民衆を見捨てたとして、民衆から石を投げられるのである。はたして、朝鮮の歴代王の中で、民衆から石を投げられた王がいたであろうか。それほど、状況は悲惨であったと言える。
ついに宣祖は明との境である義州まで逃げるのである。その頃には、朝鮮の大半は日本軍の占領下となってしまっており、宣祖の息子の臨海君と順和君は、日本軍の捕虜となっていた。こんな時に朝鮮の民衆の頼みの綱となったのが、息子の光海君であった。
・光海君(カンヘグン)
光海君は宣祖の第二王子である。義州にいる宣祖は、朝鮮王朝分朝の命令を下し、光海君は寧辺(ヨンピョン)にとどまって朝鮮のもう一方の王朝を率いて、戦時下の国務を担うこととなる。十八歳の光海君は寧辺から南下して、義兵を募り、日本軍あいてに大いに奮戦して、ある時は加藤清正軍を破るほどの活躍ぶりであった。(参考 映画「代立軍ウオリアーズオブドーン」・ドラマ「王の顔」)
宣祖はこのような光海君に間違いなく嫉妬していたと思う。であるから戦時下では、信城君(シンソングン)を可愛がり、戦争中に信城君が死んでしまうと、今度は仁穆(ニンボク)王后から生まれた永昌大君を可愛がる。いったんは光海君に定めた世子(王の後継内定者)を永昌大君に変えようとすると、政治はさらなる党派争いとなってしまう。しかし、宣祖の思いも空しく、宣祖の死後は光海君が十五代王となるのである。
・李舜臣
この人ほど韓国で有名な人はいないであろう。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の英雄である。それはなぜかというと、当初劣勢であった朝鮮軍のなかで、水軍の指揮官として、巧みな戦術を操って、日本水軍を撃破し続けたのであった。ただし、宣祖は最初のころは絶大なる信頼を李舜臣においていたが、戦勝を経るごとに朝鮮の民衆は李舜臣を次第に英雄化していき、宣祖はだんだんと李舜臣に激しい嫉妬心を抱くようになるのである。その結果、不当に逮捕されて死罪が宣告されるという事態となるが、その後助命された後、また水軍をまかされるという、李舜臣にとってみれば迷惑極まりない出来事がおきる。
李舜臣はふたたび、朝鮮水軍の司令官となって、日本水軍を破っていくのであるが、李舜臣の最後は、露梁海戦にて日本軍の流れ弾にあたって死んでしまうというものであった。このころには生き永らえたとしてもその後宣祖から受ける仕打ちを考えると、討ち死にしたほうがよいと考えていたふしがある。(参考 ドラマ「不滅の李舜臣」)
こんな李舜臣の波乱の生涯を今なお韓国の人たちは、称賛を惜しむことなく、尊敬する韓国人の第一位にあげている。
・金(キム)ゲシ
朝鮮三大悪女という言葉があるが、この中に金ゲシがなぜ入らないのか、私は不思議に思っている。三大悪女以上の悪婦・妖婦であった。もともと、光海君の女であって、光海君付きの女官となり、宣祖の目に留まって「聖恩」(寵愛のこと)を受け一時は宣祖の女、特別尚宮(サングン)となる。しかし、光海君への愛は変わることはなく、宣祖の時代も光海君の時代も、一貫して光海君のために暗躍するのである。(参考 ドラマ「王の女」・ドラマ「宮廷女官キム尚宮」)
光海君即位後の金ゲシの陰謀と光海君の没落については、またの機会に書いてみたいと思っている。
・まとめ
王の庶子のすみっこのほうから抜擢されて十四代王となった宣祖は、幸運な男と言ってよい。しかし豊臣秀吉が朝鮮に侵略することで、一転、不幸な王となってしまった。宣祖の心の中には、劣等感と嫉妬心と同時に、こんなことなら王になるのではなかったという後悔の念と不遇感が渦巻いていたであろうと推測する。
一方光海君は、文禄・慶長の役のおりには、民衆にとって義軍を指揮するキラ星のごとき存在であり、宣祖とまるで対照をなしていた。しかし十五代王となって、金ゲシの陰謀と共に落日していく暴君と評され(この評価には諸説ある)、とうとう廃位されて済州島に流されてしまうのである。
光海君については、またの機会に述べてみたいと思っている。