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そもそも劣等感はどうやって身についた?
一気に寒くなり、鍋が食べたいな、と思う季節になりました。 わたしはピリ辛味のお鍋で汗をかきながら食べるのが好きです^^ あなたはどんなお鍋が好きですか。
さてさて、前回と、前々回は、劣等感についてお話しました。なにかピンとくるものはあったでしょうか。
劣等感のお話、もう少し続きます。よかったらお付き合いください。
前々回は、無意識にある劣等感を意識化すると、
感情に振り回されにくくなり、心が楽になるというお話をしました。
前回は、劣等感を和らげるためには自分の価値観を疑ってみよう、
自分の自動思考になっている信念、常識、社会通念は、今の自分に合っているか、もっと自分を大切にできる価値観にできないか、というお話をしました。
自分の価値観を見直すためには、どうやって劣等感を身についたのかを考えてみるとヒントになることが多いです。
そこで今回は、この点について一緒に考えてみましょう。
劣等感はどうやって身についた?
では、そもそも、どうやって劣等感を身につけたんでしょうか。
劣等感を持って生まれてくる赤ちゃんはいませんね、
(隣の赤ちゃんより大きな声で泣こうとか、わたしの方がぽっちゃりしてかわいいとか、思わないですもんね笑)
では、いったいどのあたりで身についたんでしょうか。
わたしの場合は、小学校、中学校ですっかり身についた気がします。
学校も親も社会も、勉強ができるとほめる、スポーツができるとほめる、という時代だったので、まじめなわたしはそれに一生懸命こたえようとしました。
できないことをがんばった結果
わたしの場合は、この一生懸命こたえてしまったのが、劣等感が身についた原因です。
勉強もスポーツも、そんなに一生懸命やらなくてもできる子はできます。
それが「得意」なこと、というものですよね。
それが、得意でもないのに一生懸命にがんばってしまったので、しんどいわけです。しかも、しんどいのに、たいしてできないんです。
その頃は、勉強ができる、スポーツができることがいいことだ、という価値観だけにどっぷり浸かっていたので、
勉強やスポーツができることと、自分の価値が同一化してしまっていたんですね。
勉強やスポーツができなくても、それが自分の価値とは関係ないという、
それ以外の価値観を持てなかったので、
その結果として、自分のことを、勉強もスポーツもたいしてできないダメなやつ、という劣等感を無意識レベルで持ってしまったんです。
「劣等」と「劣等感」は似て非なるもの
まさにこれが、「劣等」という事実を、ダメなことと解釈して「劣等感」にしてしまった、ということですね。
「劣等」と「劣等感」は、一見同じに見えますが、違います。
「劣等」は劣等しているという事実、「劣等感」は劣等していることがダメなことだという事実の解釈です。
これでは、自分に対する自信は持てませんよね。
意外とうまく立ち回っていたのでなんでも無難にこなしていましたが、心の底ではぜんぜん自信がなかったです。
そのまま大人になってしまった
そして、劣等感を持ったまま、大人になりました。
子どもの頃は、子供として生きていくためには、周りの大人に受け入れてもらうことが、子供としての生存に関わることなので、勉強やスポーツを頑張って良い子になることが必要でした。
(子供は、一人では生きていけないので養育者などに受け入れてもらえないことが生死に関わるという、生存本能をもっています)
しかし、大人になったらもう関係ありません。
できないからダメ、という価値観は脱ぎ捨ててしまいましょう!(←自分に言い聞かせています)
いったん染み付いてしまった劣等感は、まずは、染み付いた経緯を探ってみると、劣等感をやわらげるきっかけになります。
よかったら、自分はどうかなーと考えてみてくださいね。
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