6.怒涛の遺言執行(その2)

 半月後。法定相続人全員を事務所に招いた。

 曲谷さんの妻は既にお亡くなりなので、相続人は子の二人。長男友康と長女靖子の二人だ。

 俺が遺言書のコピーと相続財産の目録を全員に配り終えると、津山弁護士が遺言書の内容を読み上げた。

津山「…という内容になっております」

 会議室はしばしの沈黙に落ちた。

友康「なんなんだこれは!」

 まず怒りの声を上げたのは長男友康であった。

友康「津山先生!なんですかこれは!預金や自宅が靖子に、というのは親父から聞いていたが、株式も管理している不動産も何もかも殆どが靖子にいく内容じゃないですか!」

靖子「友康兄さん、これはお父様の遺志なのだから…」

友康「お前は黙れ!親父に甘言の限りを尽くして、こんなデタラメなものに…」

靖子「それは言いがかりだわ」靖子はふくれたが、友康は一瞥もしなかった。

友康「これは遺留分を侵害しているんじゃないんですか?」

 繰り返しになるが、遺留分とは法定相続人に法律上認められている遺産に対する最低限の取り分のことだ。子は2分の1と定められている(民法1042条1項1号)。

 本件では、子は二人なので、友康には4分の1(25%)が遺留分として保障されることになる。

津山「まだ遺産の評価額を正確に計算してはおりません。ですが、友康様の遺留分を侵害している可能性は高いと考えております」

 つまり、友康に与えられる遺産の取り分が25%未満ということを意味する。

友康「そんなの、遺言書無効じゃないんですか?」

津山「いえ。遺留分を侵害している場合にも、法律は侵害されている者が侵害している者に対して金銭を請求できるという建前となっています。ですので、遺留分を侵害する内容でも、遺言書としては有効となります」

 それは教科書通りの説明であったが友康は収まらない。

友康「法律の建前はそうかもしれない。でも、そんな遺言書について、親父に物申すべきじゃないんですか。後日の紛争になるじゃないか」

津山「無論、曲谷様にはご意見申し上げました。遺留分を侵害しているとかえって法的紛争になる可能性があると。ですが、この内容でどうしてもいきたいと仰せになりました。遺言書については遺言者の意志が最終的なものです。それ以上はこちらもご意見申すことは憚られます」

友康「ううむ…」

 法律という壁を前にして人間の呻き声である。よくある光景である。

友康「遺留分侵害の、なんというか、請求には期間制限とかあるんじゃないんですか」

津山「ございます。相続開始及び遺留分侵害のあったことを知った時から1年です。つまり今日から起算されると言うことになると思われます」

友康「承知した。だが、気になるのが金銭での処理となっている点だ。私は会社の株式が欲しいのだ」

 友康は明からさまに本心を露呈した。会社経営者として、特にファミリー企業ならば、金銭より株式というのは当然の欲求である。

津山「友康様。私は遺言執行者。遺産を遺言書の通りに配分することを職責としています。靖子様に対する遺留分侵害額請求については、別の代理人を立てて頂かねばなりません」

 そう。遺言執行者は、相続人間の遺留分に関わる紛争については当事者となることはできないのだ。

友康「私は先生の事務所と顧問契約を結んでいる。それでもダメなのか?」

津山「申し訳ございません。利益相反に触れますので」

 利益相反行為とは、依頼者と異なる第三者のために、依頼者の利益に反する行為をすることだ。これをしてはならないというのは、弁護士としての最も基本的な義務だ。

 本件では、津山弁護士は遺言執行者として曲谷誠司さんの遺言を実現することに忠実でなければならない。対して、友康さんの訴訟の代理人となることは、その遺言の内容の実現を阻害することになるからだ。

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