6.怒涛の遺言執行(その4)

 曲谷さんが死んで二ヶ月が経過した。

藤原「先生、友康さんと靖子さんの遺留分侵害額請求訴訟はどうなってるのでしょう」

津山「案の定、泥沼の法廷闘争になっているらしい」

 先輩は渋い顔をした。

 友康さんとしては徹底抗戦して和解に持ち込み、何とか少しでも株式の持分を取り返そうとしているのであろう。

藤原「確かに、友康さんとしては、会社経営権を維持できるかどうか瀬戸際。必死に抵抗するのも分かります。…ウチとの顧問契約、大丈夫ですかね?」

津山「友康さんには随分と嫌味を言われたよ。顧問契約を切られる可能性は十分にある」

藤原「やっぱり」

津山「でも、先代の曲谷さんはウチの親父の親友。そちらの依頼も重要だ。こういうことになるのもやむを得ない」

藤原「難しいもんですね。顧問先との付き合いも」

津山「ああ。特にファミリー企業はな。こちらとしては顧問先の機嫌を損いたくはない。だが巡り合わせでそうならざるを得ない場合もある」

 弁護士としては割り切らねばならない。辛い所だ。

津山「で、執行業務は順調に進んでいるか」

藤原「ええ。預貯金の解約は終わりました。保険が少し面倒ですが、これも何とか間も無く終了見込みです」

津山「不動産は?」

藤原「司法書士の勝元先生に移転登記手続を依頼しています。公正証書に、曲谷さんの除籍謄本、住民票除票、靖子さんの戸籍謄本をお渡し済みです」

津山「証券は?」

藤原「GCYM証券に公正証書と相続手続依頼書を提出済みです」

津山「同時並行でやっているようだが、公正証書は大丈夫か?」要は通数が足りるのかという念押しである。

藤原「公証人の錦織先生に、謄本を四通追加発行していただきました。正本はなくすのが怖いので、全て謄本で手続きを処理しています」

津山「まあ、正本も正当な理由があれば再発行してもらえたはずだ。だが、用心に越したことはないな」

藤原「ええ。友康さんも靖子さんも、なかなか手強い方なので。ミスすると後々恐ろしいので」

津山「確かにな」先輩は苦笑した。

 それから数日後

津山「靖子さんから、早期解決に何とか助力してくれないかと連絡があったよ」

藤原「意外ですね。靖子さんとしては、じっくり構えていれば、最終的に金銭処理で済ますことができるので何の問題もないと思いますが」

津山「御子息の総一郎さんを会社の役員に送り込みたいのだ。間も無くアメリカ留学から帰国されるらしい。浪人のまま放置できないということのようだ」

藤原「なるほど…。ひょっとして友康さんもそこを狙って長期戦に持ち込んでいたんですかね」

津山「実はな」先輩は冷ややかな笑みを浮かべた。左翼活動家出なので謀は大好きだ。

津山「ここだけの話、それを示唆したのは俺なのだ」

藤原「え?まずくないですか、片方に肩入れして」

津山「あくまでも示唆だ。一般論として語ったに過ぎない」

藤原「一般論ですか」

津山「早期に会社支配権を獲得したがってる者に対しては長期戦になればひょっとして、ということだけを伝えた」

藤原「かなり有益なアドバイスですよね」

津山「仕方ないだろ」先輩は不貞腐れた。

津山「友康さんから、このままだと顧問契約を打ちきる可能性が濃厚と言われたんだ。何か見返りを渡さないと。あくまでも一般論だと念を押しておいたよ」

津山「ともかく早期解決の機運が醸成されたわけだ。これも立派な遺言執行者の仕事だ」

藤原「微妙ですけど。でも当事者みんなが望むのなら」

津山「そうだ。相続人全員が合意すれば、遺言書と異なる合意も可能だ。それで親族内の平穏がもたらされるのならばとても有益だ」
 津山弁護士は自分に言い聞かせるように語気を強めた。

 それから半月後。再び友康さんと靖子さんが事務所にやって来た。遺産分割をやり直すためだ。
 不動産や預金などは遺言書の割合のままとして、曲谷誠司さんが創業した不動産会社の株式を五割を友康さんに与えることに、靖子さんが四割、靖子さんの総一郎さんが一割を保有することと定められた。
藤原「うまく着地できましたね」
津山「ああ。これで顧問先も繋ぎ止めることができた。将来、総一郎さんが社長になった場合でも、恨む筋合いもないだろうから」
 先輩は心底安堵した面持ちであった。有望な顧問先を繋ぎ止めるのは法律事務所経営者の最重要課題であるからだ。




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