【顧客は突然いなくなる】 ~親の話編②~
小さいころ、幼稚園くらいだったと思いますが、よくお遣いを行かされていました。
大人だと5分くらいで着くのでしょうけど、無茶苦茶と遠く感じました。
ちょっとしたものだけですが、買い物行ったときに失敗して、溝に1円落としてしまいました。家に帰ると、「探しなさい」と激怒。私は泣きながら探しに行き、どんどん回りが暗くなり、1円がどこに落ちたのかもわからない。自分では5時間くらい(本当は1時間くらいかも)探していたら、母がやってきて、「1円も大事なんよ。これから気をつけなさい」と抱きしめてくれたことを覚えています。今思うと母は強いし、お金の大切さをずっと教えてもらいました。そんな母が、末期がんになった時、病院に行ったら、娘に1万渡していました。やりすぎだと話をしたら、入院していると使うところがない、せっかく来てくれたからと渡していました。私の娘の教育にならんって思いました。
無茶苦茶貧乏の記憶しかないけど、父の晩酌はあった。小さいころにお小遣いがあるときは日本酒、ない時は焼酎でした。酒のあてで、クジラの腸(百ひろ(鯨の小腸))ができていた記憶です。そらく安かったのかも。それをちょっとだけ食べさせてもらいました。この辺から酒飲みになっていく序曲だったのかもしれません。父は角打ちに行くし、死ぬ前まで酒飲んでました。私が思うのに人生寂しかったのかなと思います。結果、私たちを育てるために三交代制を頑張ってくれました。そして私たちが育った後、目的がなくなってしまって、定年後は毎日酒飲んで公園まで歩いていき、家に戻り酒飲んでという繰り返しでした。私としては父の遺言。「兄弟で仲良くしてくれ」と言われているので毎年1から2回会って食事をしています。本当に親はすごい。