そこまでしなくても良いのにやる
「何もこんなことまでしなくても良いのである。(中略)しかし、現場に出向くとなぜか手伝っていた」
これは『納棺夫日記』(桂書房・青木新門著・1993年)の一節です。30年も前の本です。この一文ですが、私自身働いていて一文同様に働いていることがあります。
働いていて、「ここまでしなくとも」と思うのですが、動いてしまいます。
なぜなのかはわかりません。ただ、社会人として仕事への責任があると思うのです。相手方へは精一杯の対策を取らないといけません。もちろん、明らかに的外れな要求には撤退する必要もあると思いますが、できる限りはやらないといけないと考えています。
『納棺夫日記』には線路付近に散らばっている轢死体を警察官と集めています。そのような壮絶な現場に私は出くわすことがありません。過酷ではないからできるのかもしれません。
皆さんの現場はどうでしょうか。3Kという古い言葉の職場も少なくなっていると思います。だからこそ、各自の努力も大事になってくるのではないでしょうか。
できる限りのことをすれば、僅かですけれど成果につながると思います。日本という国は力が低下しています。満たされ過ぎていて、努力しなくてもそこそこの生活ができるような国です。でも、いつまでも住みよい国ではないはずです。
政治の世界を見ていますと、国民を欺いて「失われた30年」をおう歌し続けた政治家たちがいます。国の衰退は始まっていると思います。だからこそ、国民一人一人が精一杯働いて国を支えないといけない時代に来ていると思います。