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「若き血」を戦場に流さないために

 甲子園の高校野球はいよいよ明日の決勝戦を残すのみとなった。地方予選から多くの学校が既に敗戦し涙を飲んだ中で、ここまで勝ち進んだ仙台育英と慶應義塾には、負けたすべての球児たちのためにもさわやかな全力プレーをしてほしい。
 東北の思いを背負い連覇に挑む仙台育英、1916年(大5)の第2回大会以来107年ぶりの優勝がかかった慶應義塾、どちらが優勝の栄冠を勝ち取るのか・・・決勝戦が楽しみである。

 共にグレーのユニフォームの両校、3月21日付の毎日新聞の記事によると仙台育英のユニフォームは、慶應義塾出身で仙台育英の校長をする加藤さんが「母校の愛着あるデザインと同じにしたい」と慶應義塾体育会に「直談判」までして決まったものらしい。明日は、慶應への思いが漲る“慶慶戦”のような雰囲気になるのかもしれない。

 さて、慶應義塾の歴史ってどのようなものなのだろう?と思い、「慶應義塾豆百科」を見てみた。福沢諭吉さんがこの塾を開いた経緯や塾生が塾の経営危機を救ってきた「社中協力」のことなど、慶應義塾の歴史が数々の先人の努力の結果築かれたことが記されている。

 この豆百科のNo.89には「 日吉台の地下壕」のことも書かれていた。以前、私も友人とともにこの地下壕付近をフィールドワークで行ったことがあるが、決勝進出した慶應義塾高校がある日吉キャンパス内に、旧日本海軍の施設があったという。

 豆百科の説明によると「昭和19年、太平洋戦争が熾烈となり学徒出陣や勤労動員で教室に空きが出てきたので、文部省の指示に従い慶應義塾では日吉第1校舎、寄宿舎等を海軍に貸与することとなった。」「日吉に移ってきた海軍の内訳は第1校舎には軍令部第3部、人事局、建設部隊等、寄宿倉は連合艦隊司令等がまず入り、後には海軍総隊司令部や航空本部等が移転して来て、海軍の最重要作戦の指令は日吉で決定されていた。移転直後から海軍は校地の地下に堅固な地下壕を突貫工事で建設し、連合艦隊司令長官の指令は、実は日吉のアナグラの内から発せられたものであった。神風特攻隊が初めて出撃したレイテ作戦の命令も、日吉の地下壕から発せられた」という。

 この日吉台地下壕の戦争遺跡の保存や後世への伝承に努めている日吉台地下壕保存の会によると、「沖縄戦の命令もここから出されました」とのこと。 ★連合艦隊司令部

 
 奇しくも慶應義塾高校がベスト4をかけて沖縄代表の沖縄尚学と戦ったが、沖縄尚学の大健闘を報じる8月20日付琉球新報では、この一面記事の左上に「中国、台湾周辺で軍事演習 副総統訪米に対抗措置」との見出しの記事が載っていた。非常にきな臭い、不穏な情勢が続いている。戦後を「戦前」にさせてはいけない。

 沖縄をそして日本全土を二度と戦場にさせず、かつての特攻隊員や出征兵士のように「若き血」を二度と戦場に流さなくて良いように、スポーツを通した平和交流の大切さを、甲子園の熱戦をテレビで観ながら考える。

若き血誕生秘話
 

 


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