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自己紹介させて下さい!!
こんにちは!!
都内で整体院の院長を務めています水野拓哉と申します!!
私は人や地域、お世話になった方々への恩返しがしたい、貢献したい、人の身体の不調やお悩みを解決したい思いで国家資格取得後、約5年間地元の接骨院で修行し、
様々な人との出会いをきっかけにして2022年11月1日に都内で整体院を仲間達と一緒に開業しました。
私は人が好きです。家族や仕事仲間、これからもお世話になる地域の方々、そしてお身体のお悩みを抱えている患者様の健康と幸せのために日々楽しく仕事をしています。
本日は自分の人生の振り返りと想いを投稿したいと思います。
両親や周りの環境に影響を受けた幼少期
私は2人兄弟の次男で生まれ、隣の一戸建てには祖母が住んでおり、父は生真面目なサラリーマン、母は優しく人当たりの良い性格で飲食店のパートタイマーで働く主婦の家庭で育ちました。
隣に住んでいた祖母が共働きだった両親に代わって食事の支度をほぼ毎日してくださり、祖母もヘルパーの仕事の傍らで兄と2人お腹一杯食べさせてくれました。
本当に祖母にも感謝しきれません。
一つ幼少期の自慢は海外に住んでいたことです。
父の会社が外資系で海外出張も多くあったこともあり当時生まれたばかりの私やまだ幼い兄を母一人で育てるのは厳しいと気づかってくださった父の務め先の配慮のおかげで、4歳まで家族4人で海外暮らしができました。
幼いころに海外経験をできるという事は当時では一般的ではないと思いますので私にとって本当に貴重な体験だったと父には感謝しています。
どんなことが貴重だったかはまた別の機会に投稿しようかと思います。
帰国後は兄の影響もあり、先に所属していた地元の少年野球チームに入団。
その傍ら、スイミングスクールや英会話教室にも通いました。
ただ当時の自分の本心は通わされてるでした。
特にスイミングスクール、英会話教室です。
スイミングスクール、英会話教室は母が若いころにできなくて嫌だった想いがあったのでできるようになって欲しいという理由でした。
スイミングスクールに関してはとにかく疲れるし友達とも遊べなくなる、
英会話教室に関しては教室後にほぼ毎回連れてってくれるファーストフード店のハンバーガーとポテト、プラス飲み物に釣られて3年以上通い続けましたが結果は特に英語を話せすことはできませんでしたが、僕自身はおいしくてお腹いっぱいな思い出は残りました。
真面目に勉強しないでごめんなさい。
ただ野球は別でした。同じ小学校の同級生も多く、当時は小学生にして体重もあって身長も小学校5年生にして身長160cm、体重も50~60kgでパワーもあって打球も飛ぶし、ホームランも打てました。
当時は周りの友人と比べて頭抜けていた事もあって、この競技なら1番を取れるプロ野球選手にもなれると思って取り組んでいました。
しかし、一緒にプレーしていた幼馴染のD君の成長スピードが凄まじく
気づいたら4番も取られ、さらに投げるスピードも小学5年生にして120㌔を投げ、エースで4番。もはや天才です。
彼の調子次第で試合が決まるといっても過言ではないです。
そんな彼に周りも引っ張られ実績としては5年生から私たちが主体となり
2年間で上位入賞はもちろん、優勝したりと近隣でも強豪ひしめく地域でしたが次々に周りのチームを破りました。
もちろん僕が貢献して勝った試合もあります。
仲間と一緒に努力して勝つことはとてもうれしいです!!
ただひとつ気がかりだったのが幼馴染のD君とのギャップをきっかけに段々と自分に自信をなくしている事に気づきました。
その後は中学で地元のシニアリーグでプレーして実績として関東大会出場、高校でも公立高校で野球を続け、12年間野球を続けてました。
何か物事をはじめたら継続する力はあるなとそこに関して
自分を褒めたいと思います。
部活も引退して進路を決める際に両親と話し合いをすることになりました。
当時は野球が日常生活の中で、優先順位が高く、それが終わった後なので、特にやりたい事や将来の目標などは当然ありませんでした。
趣味や興味があることをあげれば、スポーツ、漫画、アニメ、日本史(特に戦国時代)、食べる事などでした。
話し合いの中でまず、母に言われたことが
資格を取ったらどうか。
父からは何かあれば潰しがきくので4年生大学に行って欲しい。
この2点でした。
僕は両親の言うことや約束を守ってきました。
なぜならそれが常識だと思っていたし、両親に迷惑をかけたり心配をかけない、両親の言うとおりにする事が安定で正しいと思っていたからです。
なので私は大学かつ専門的資格が取れ、自分の興味がある事からスポーツに携われる国家資格の柔道整復師、接骨院や整形外科、介護施設等で働けるとなどを考えた末、この資格を取るれる大学に行きました。
一旦ここまで投稿して次の記事で続きを書きたいたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました!!