パリ五輪辞退の宮田笙子
こういうことは、反応が刺々しくて、下手をすれば炎上してしまうもの。
だから、話題として触れないことがいちばん賢いやり方だろう。人のことだから大きなお世話ともいえる。
でも、日本人として、選手も協会も国民も、スポーツの祭典などと浮かれているだけで、その本質を疎かにしていることはないか。
五輪は、血の流れない戦争に等しい戦いの場であることを。
公正なルールと同じ土俵で戦う、勝敗の後は和解と次の切磋琢磨を宿命とする戦場であるということを。
行動規範
「9、日本代表チームとしての活動の場所においては、20歳以上であっても飲酒は禁止とする。ただし、合宿の打ち上げ、大会のフェアウェルパーティー等の場合は監督の許可を得て可能とする」
パリ五輪辞退の宮田笙子。
このことは、単なる飲酒・喫煙という話題ではなく、「トレーニングセンター内で禁止されている飲酒をした」という部分がクローズアップされる。公務員が職場で、時間外だからいいだろうと云ってプシュっとやったら世間様がどう思うか。そういう反応だ。
「未成年であっても、成人であっても、駄目だ」
そういう内容である。
ここが大事。
だから協会内のきまりに抵触すれば、謹んで承諾せねばならぬ。
「2か月後に成人なのに罰が過大」
未成年の飲酒・喫煙くらいという世間の話題は、その次にくるものだから、すり替えないで。
代表選手には重責がある。
大勢の五輪に挑んで敗れた選手の想いを背負って代表となった選手は、個人的な想いだけで臨むような軽い気持ちではない。背中には重荷を負っているのだ。敗れた者にとって、自分らを負かせた代表こそが、世界一なのだという期待を胸に秘める。矜持だけではない、これが宿命だ。
戦う前から禁止されたことをする。元体操選手が、本当に重圧で苦しいのだとコメント援護しているが、本当にそうだろう。
でも、それは待ったなし。
これが残酷なまでに課せられたスポーツという戦場の掟である。
そんなルール、人間なんだから。
擁護したくなるよね。そうだと思う。アスリートが超人なのは、そういう部分も含めて、超えていく精神力にあると思う。肉体労働者感覚ではない。その代わり、メリハリが設けられている。
だから合宿が終われば自由にすればいいだけだと思う。宮田さんもトレーニングセンター内だけは我慢して、どうしても我慢できないというならば、代表チームの活動の場ではないところでそっと喫煙・飲酒すればよかったと思う。
迂闊。
その一言に尽きる。
そのうえで、社会的にどうのこうのという大きな声は、かえって宮田選手を追い込むと思えてならない。処分は処分で承諾したなら、それでいいじゃないか。
とも思う。
「過大な罰を与えるのは本人の為になるのかな」
という優しい声には、おおむね賛成です。これで選手生命を脅かすなら、協会はとんだド阿呆。繰り上げもしないなら補欠の意味もなく、中身空っぽのスカスカ団体だ。
そうじゃなく、行動規範9に抵触したことの処分を粛々と行ない、あとはさらし首にせずそっと「今回は辞退」でよかったんだ。やることが大袈裟すぎて、中身が小さい。
その重箱をつついて騒ぐマスコミもおかしい。未成年を伏せて、行動規範に抵触する程度の報道でいいんだよ。国会議員が話題にするのもちゃんちゃらおかしい。もっと黒いことしているのが永田町にいるのに、だんまりしてるんだろう?報道も政治家も、他にやる話題はたくさんあるんだから、そっちこそ全力を尽くしてほしい。
無関係な輩が騒ぐほど、本人が再起しづらくなるのだ。
ルールある戦場のことを、ルール無用の外野が騒ぐことほど愚かしいことはないと思う。
甲子園に出場した優勝校候補のスター選手が、合宿所で晩酌しててもOKか?駄目だろう?
でも、これは私見です。
なので、賛同を求めておりません。
「2か月後に成人なのに罰が過大」
どうか火をくべずに、炎上を楽しむことなく、この些末な能書きを見守って頂けるとありがたい。
補欠の繰り上げと、宮田笙子選手の再起。
ささやかな個人的な願いです。五輪始まる前に、水を差すな、ってことですね。