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昭和備忘録 岩井堂

ここでは俗物的な書き方をする。
昭和の頃、そうね、仮に1970年代あたりの頃としようか。
群馬県のカントリーぶりが、いっとき眩しい時期があった。ただのカッペだなんて感じられない、旅人に寛容な土地の人の温もりもあった。観光として様々なシステムがカチッと組めたのだろうな。

ここは、岩井堂。
史跡として魅力を感じる人よりも、感じない人が多い。
かつて関越自動車道も開通していない時代の動脈は国道17号線。渋川からそっとフェイドアウトして、日本のポンペイなる看板に深い意味を考えることもなく突き進むと、やがて草津方面へ行く観光バスならほぼ休憩ポイントにしたのが岩井堂ドライブインではあるまいか。

もう、半世紀以上、ここを訪れてはいないのだが、ドライブインなるものは現存しているのだろうか。私的にはドライブイン=グンマーという印象は永遠のものであって欲しい処である。

ただ、知りたくもない情報があって、やはりソーラーパネルは日本の情緒を破壊するのだなと、しみじみと思う。

さいきん、穏やかな時間が流れていた「あのころ」に行ってみたいという気持ちが込み上げる。たいへんヤバイ兆候だ。ありもしないネバーランドへある日旅立って行方不明にならないか、心配になる。
きっと、6月1日にカッパピアが消えて久しい高崎のあの一画へ、一族的に私的な理由で久しぶりに足を運んで、グンマーの風に触れたためだろうと思うんだ……。

これを食いたくて止まらない衝動に襲われたら……たぶん群馬にいると思って欲しい

岩井堂観世音御堂は、国道353号に面した断崖にたたずむ高床式の御堂で、延久5年(1073年)に岩井堂城主 山田太郎為村が創建したと伝えられ、その後観応の頃(1350年)に藤原季長が再興したと云われています。

どうか、素通りしないで欲しい。