リアル侍ジャイアンツ
2022年、野球漫画の第一人者である水島新司氏が亡くなられた。もう2年にもなる。月日が経つのは、実に早い。
水島先生は実在選手を漫画に登場させた最後の漫画家かも知れません。なにせ今の野球漫画は架空のプロ球団や大リーグチーム、そこに所属する架空の選手を描くものばかりです。でも、昭和の人にとっては、やはり実在の選手と混在して主人公が活躍する野球漫画が、胸アツでした。「巨人の星」「侍ジャイアンツ」などは、読売巨人軍V9の頃を用いたもので、王さんや長嶋さんなどスター選手も多く、川上哲治監督や長嶋茂雄・王貞治といった選手がアニメや漫画にもキャラクターとして登場した。
「がんばれ!! タブチくん!!」なる実名ギャグすら成立したくらいですもの。
水島先生の「あぶさん」は、いぶし銀な大人のタッチで、実在選手がたくさん登場した。それが嬉しかったし、なかには「あぶさん」に出たいと願った当時の現役選手もいたのではないでしょうか。
「巨人の星」や「侍ジャイアンツ」などは、子供向け。よって、実在選手よりも、魔球などといった非現実的な部分ばかりが受けていたような記憶があります。
さて、実在した侍ジャイアンツのような人物を取り上げましょう。
戦前の球史に名前を刻む大投手。彼の名は、沢村栄治。
日本プロ野球で史上初の最多勝利を獲得し、MVPを受賞、シーズン防御率0点台、史上初の投手5冠、史上初のノーヒットノーラン達成など、その活躍は後世の球界へ刻む偉業ばかりでした。沢村は高校球児の頃からも実力はピカイチで、1試合23奪三振という記録を持っていました。プロ入り前の頃に、読売新聞社主催の日米野球に全日本チーム入り。ここであのベーブルースやゲーリックを相手に速球を投げ込んだのです。
つまり、戦前から「メジャーに真っ向挑戦」をした訳です。これはメジャーリーガーになるということではなく、倒そうというチャレンジ。壮大なチャレンジです!
プロ野球チームは大日本東京野球倶楽部所属。今日の読売巨人軍の前身です。戦前は国内の試合だけではなく海外遠征もありました。
日本国内はもとよりアメリカでも沢村は人気者で、サイン攻めに遭いました。名前を書くのが面倒くさくなり、気が乗らないときは田中絹代と名前を書き、酔っ払いに絡まれた時は馬鹿野郎とサインしたそうです。
結構、豪快ですね。
しかし、時代はアスリートに厳しい時代。
シナ事変に徴兵された沢村は、剛腕を買われて前線に出て、手榴弾を投げ続けた。そのために、大事な右肩を壊してしまうのです。更に左手の銃弾貫通とマラリア。せっかく復員できた後の沢村は、誰もが期待した
「オーバースローからの剛球」
を投げられない体になっていました。しかし、そんなことで投手生命を断ったと諦めるような彼ではなかった。投げ方を工夫すればいいのだと、今度はサイドスローに転向し、剛球に代わる確かな制球力でノーヒットノーランを達成した。
しかし再び軍に徴用された沢村は、そのためにサイドスローも投げられなくなってしまった。復帰後はさらに試案と工夫の末に、アンダースローへと転向した。
軍隊時代のため、世界レベルのアスリートは、そのブランクと消耗のために選手生命を切り刻んでしまったのです。
そして……選手引退ののち、三度の軍役。今度は、南方へ。
輸送船は屋久島沖でアメリカ潜水艦シーデビルに発見され撃沈。稀有な才能を持ちながら戦争に翻弄されてきた名投手・沢村栄治は、海の藻屑と消えたのです。
生前の功績から、優れたプロ野球投手に賞される「沢村栄治賞」。
沢村は伝説となりました。現代のアスリートだったら、肩を壊したら即引退するでしょう。投球スタイルを変えてまで、現役にしがみついて、成績を残そうとした意地は正に侍。これを「ど根性」などと云いたくない。やはりプライドがあったのではないでしょうか。
「巨人の星」の主人公・星飛雄馬は最終回、大リーグボール3号を投げて左腕を壊し、「新巨人の星」で右投手となり帰ってきた。
「侍ジャイアンツ」の主人公も、絶体絶命の中で闘志を見せてくれた。
そう、沢村栄治こそ、元祖のサムライ。侍ジャイアンツなのかも知れない。
令和の球界に、これくらいの闘魂を剥き出しにした選手に出会えるでしょうか。いや、リアル侍ジャイアンツは登場するのでしょうか。
そして、実名選手の登場するような野球漫画にも会えるのか!
思えば、野球人気の翳りと、実名選手の出ない野球漫画の横行は、連動しているのかも知れませんね。
なに、サッカー?馬鹿なことを……「キャプテン翼」にだって、ゴン中山は登場したよ。
大谷も、こういう風に登場して欲しかったね。水島先生以後、そういう作品に出会えていない。
ちょっと寂しいです。