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知久氏とは
南信州新聞で令和3年6月~令和5年5月まで連載された作品「御所車-知久太平記-」。この作品は現在の飯田市周辺を領有した知久一族の没落と再生を描いた戦国モノである。関東の者にとって、信州とりわけ下伊那は遠い場所。立地的に云えば三河や東濃にこそ生活圏が近く、戦国時代も駿河今川家や美濃土岐家にこそ影響が濃い地域だった。
将来、リニアモーターカーが開通すれば、直線ならばそれなりに首都圏から近くなるだろう。ただ、現在は諏訪を回らないと南アルプスに阻まれてしまう。
戦国時代ならなおのこと。
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知久氏は諏訪神氏の末。
南北朝時代に南朝方に付いて、後醍醐天皇の皇子を支えた。その報恩に報いる下賜が、御所車の家紋とされる。伝説だ。
この御所車の家紋を翻す名もなき地方豪族は、武田信玄の侵攻により、抵抗した。この地方では調略に転ばず抗った事例といえよう。
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しかし、知久頼久の子・頼氏は神之峰城を脱し、三河松平家に逃れて再起を待った。
家を割った知久安芸守は伊那郡代・秋山伯耆守に取り立てられてその侍大将にまで出世していく。
ふたつに分かれた知久家の運命の日。
天正10年、織田信長による甲州征伐。
南信州がなぜ戦いもせずに降伏したのか。これをきっかけに武田家の人間雪崩現象が連鎖したのか。
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大願成就を果たした知久家の行く末は、決して安易な物ではなかった。