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池波文学の隠れた魅力
「仕掛人藤枝梅安」に続いて「鬼平犯科帳」が時代劇専門チャンネルで制作され、池波正太郎生誕100年企画を彩っている。正統派の時代小説を描く先達のことを、なにかと評論するのは烏滸がましいから、別の切り口で楽しみ方をみつけたい。
いまさら、グルメなんて云わんよ。
知っている人は、どっぷりと沼から二度と出て来られないだろうからさ。
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池波正太郎の官能描写は、体温と湿り気を感じる。官能小説のような、直球の〈それ〉が目的ではなく、その描写が3歩5歩10歩と、先々の展開の伏線に残る。計算された描写だ。
特に、年季の入った男あるいは女が、その描写での主導権を握る(剣豪・上泉信綱は握られてしまったが)ところが、生活の上で等しく年長者ありきの良心的な断片である古き日本の描写を彷彿させる。
そういう風に見たこと、みなさんは、あまりないかも知れない。
サムライの自尊心や、善男善女の辛抱や、盗賊やごうつくババア、そして季節を表現するグルメ。池波の魅力をこういう一面から虜にされる人はあっても、官能を拾う者は、そうそうおるまい。
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氏のエッセイは秀逸で、唸るものもある。時には本音が通り過ぎるものもあったり。
「松阪の牛肉が丹精をこめて飼育された処女なら、こちらの伊賀牛はこってりとあぶらが乗った年増女である」(「食卓の情景」)
これは、三重県観光連盟の2005年キャンペーンポスターに掲載されたコピーの一部。「作家が愛した三重の味」と題して作品の一節を引用したところ、女性から不快だという意見が続出して回収するという騒動が起きた。不適切だと騒がれるよりも早く、この騒動。
読んで字の如くなら、その比喩表現に「年輪の賞賛」を感じ取れる。
しかし想像力の乏しい現代人には、読んだとおりにしか伝わらない。
これからの時代小説は、読者が必ず感性の豊かな人ではないという覚悟も伴う。読者を突き放したり、卑下しているのではない。そういう教育や楽しみ方が失われてしまった、行間の海の奥を観て感じて聴く事など、出来ない人が多いのだ。
官能とは、すべからくエロとは思っていない。
五感で読ませることが出来たなら、それも官能だ。
そのような官能を、めざしてみたい。
最近の池波イチオシ本
「闇の狩人」