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異形者たちの天下第4話-3

第4話-3 大坂という名の天国(ぱらいそ)

 一〇月一一日、徳川家康は精鋭を率いて駿府城を発した。
 軍勢は周囲を威圧するかの如く、ゆるゆると行軍し、途中で鷹狩りをするほどの余裕ぶりを示しながら京都二条城に到着したのは二二日であった。片や江戸の徳川秀忠はせっかち極まりなく、兵糧の支度に滞り、未だ出立が出来ぬ有様であった。
 江戸の軍勢がようやく発ったのは、二三日のことである。
「何卒参陣までは開戦為されることなかれ」
という嘆願書を本多正純に宛てる程、秀忠は焦っていた。関ヶ原の再現など恥の上塗りであるし、屈辱を晴らしたい一心と云えば潔いが、その小物ぶりに振り回される兵にとっては、さぞや堪ったものではなかった。
 秀忠勢は江戸から京までを、僅か十七日間で駆け抜けた。
 
 徳川父子が出兵したこの間に、大坂城へ入った名のある武将は次のとおりである。
 
  後藤又兵衛基次     浪人・旧黒田長政家臣
  塙 団右衛門直之    浪人・旧加藤嘉明家臣
  仙石豊前守宗也     浪人・関ヶ原西軍加担の咎で廃嫡
  毛利備前守勝永     浪人・関ヶ原西軍加担の咎で所領没収
 
 これら歴戦の強者の他に、家柄だけが綺羅を飾る無能の将も大坂城に入城した。いや、むしろ家康に送り込まれた間者といってもよい。勿論、その家柄ゆえ、淀殿は他のどの客将よりもこの男に信頼を寄せた。
 
  織田源五郎長益     織田信長弟・有楽斎と号す
 
 織田有楽斎は淀殿にとっては叔父にあたる。血筋から云えば信頼を寄せるのも道理である。が、この男の変節無節操ぶりもまた、天下に鳴り響くほど有名なことであった。少なくとも戦国乱世の英傑たる信長の遺伝子は、この男に一欠片もないといってよい。そんな無能者を間諜に仕立てた家康も、さすがであった。
(誤って殺しても惜しくない)
人物だからである。
 しかしこのことを差し引いても、明石・真田・後藤・塙・仙石といった戦国武将が監視をすり抜け、威風堂々と大坂に身を寄せたのは、誤算としか申しようがない。
 せめてもの救いは、服部半蔵のもたらした
「安房守病没は真意なり」
という報せのみである。
 そして。
 服部半蔵はもうひとつ不可解な報せをもたらした。
「石田治部が生きており大坂の総指揮を任じられるものなり」
というのである。石田三成は関ヶ原敗戦ののち、西軍総大将の咎で確かに晒し首にした。
「まさか、あれが替え玉であったと申すか」
「石田治部は軍略にこそ疎いが用意周到な策士。豊臣の為なら私欲を捨てる男にござれば、形振り構わず生き残ることも考えましょう」
「ううむ……」
 家康は困惑した。
 関ヶ原のときは豊臣恩顧の諸将が
「私心で」
三成に憎悪を抱いていた。だから懐柔できた。しかし今は違う。徳川対豊臣の図式であり、そこに無位無官の石田三成が加わればどうなるか。
 せっかく関ヶ原で拾った勝利。奸物の汚名のなかで、徳川はすべての大名にそっぽを向かれるだろう。石田三成の軍才無能ぶりはどうでもよい。ようはこの者が大坂に存在することの大きさこそが問題なのだ。
「半蔵」
「は」
「治部はこの一〇余年、どこで時節を待っていたというのだ」
「どうやら出羽国らしいと」
「出羽……佐竹が糸を引いていたのか」
 伊達政宗を警戒する家康は、その牽制役として佐竹右京大夫義宣を出羽久保田城に配していた。しかし佐竹義宣は奸智に長けた人物である。関ヶ原を静観しながら、裏では石田三成と通じていたのだ。佐竹義宣と三成との懇意は、実は相当根深い。三成を通じて秀吉に取りなして貰い、常陸での加増を欲しいままにしてきたのだから、懇意というよりも恩義に等しい。危険な橋を渡ってまでも三成を庇い続ける動機と理由は充分すぎた。
 出羽国は、まさに家康の目を盗んで三成を庇護するには絶好の場所だったのである。
(小者風情と侮り過ぎたわ)
 後悔したが遅すぎた。もしここで佐竹義宣を詰問しても、証拠がなければ惚け通されるだろう。殺されたって本当のことを告げる訳がない。
「治部は佐竹に陣に潜伏しておるものか」
「城内の噂によれば、出羽の田舎より草鞋を履くと」
「つまり、未だ出羽に居るというのだな」
「は」
 家康はじっと考えた。
 冬の奥州は豪雪に見舞われる。伊達領や上杉領を通過して大坂を目指すような危険な真似を、石田三成ともあろう男が冒すだろうか。もっと堅実で安全な上方への道筋を考えるに違いない。
 家康の脳裏には出羽から繋がるあらゆる道筋が浮かんでは消えた。北陸路も東海道も考え難い。陸路の行着く先は近江である。徳川の監視網はそこを通過する全てを吟味するから逃れる術はない。もし、直接畿内へ至るなら、陸路以外の交通手段……。
 はっと家康は手を叩いた。
「海路だ」
 服部半蔵も顔を上げて
「敦賀に?」
「そうじゃ、敦賀湊には出羽からの荷が着く。ならば敦賀で待てば必ず治部は来る」
 家康はじっと半蔵を見た。答えはひとつしかない。
「半蔵、判るな?」
「は……」
「服部家は嫡男を大将として大坂まで従軍する。次男は駿府に留守居。そしてお前は……」
「敦賀……ですな」
「治部という旗頭は、断じて大坂に入れてはならぬ。生かしても利がないと心せよ」
 服部半蔵は頷いた。

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