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常識のない戦場-伊勢長島-

NHK-BS番組「英雄たちの選択」。
いつも楽しく視聴している。「信長が震えた日〜血戦!長島一向一揆〜」この回は、敬愛する伊東潤先生のゲスト回だったので見入ることとなる。
そも、この戦場に注目した最初は、新田次郎著「武田勝頼」(※ただし読んだのは単行本ではなく、歴史読本連載時の「続武田信玄」回)のくだり。もともと武田家との縁組を予定していた長島一向宗をめぐる一篇は臨場感と後味の悪さに震えた。その後、隆慶一郎著「影武者徳川家康」で世良田二郎三郎と本田正信の友情の部分で、教科書にはない民衆の息吹に震えた。
戦国時代の宗教は魔物である。
現世利益よりも来世や厭世に希望を見出す。それでいて現世でのしたたかな生命力もある。彼ら信徒は、断じて殉教者ではない。ここがキリスト教布教に殉じるキリシタンとは異なる点だろう。清廉ではなく欲望に忠実な生命力が漲っている。

現大阪城にあった石山本願寺。戦国一向宗の総本山だ。

伊勢長島は織田信長にとって、大いなる障害の拠である。
織田家は尾張守護代として、津の商工業地帯や港湾を掌握し栄え、興った足元である。その足元となる木曽川長良川河口の中州地帯。ここに宿敵となる一向一揆の巣窟がある。
信長にとって、これほど屈辱的なことはない。
取り除くために手段を選ばぬのが、偽らざる信長の心情だろう。

よく、戦国の常識に囚われないと評される織田信長。
そして伊勢長島の生活環境は陸100%というよりは自由な小舟による移動を常とする集団。これも領土見識の常識外の存在というべき。
伊勢長島での勝率は、3度の戦さで信長は2度敗れている。戦国で用いない鬼手を信長が選択することは、3度目の正直にあって然るべきことだった。
「根切」
この単語は戦国史にあるものだが、実行することはほぼ無い。占領地域を支配しやすくするため、些かの情が残される。が、根切には非情しかない。殲滅を意味する。
比叡山延暦寺でさえ近年の研究では殲滅戦ではないと断じている。ジェノサイドやホロコーストに相当する、非戦闘員も含めた抹殺に及んだ戦国合戦はこの伊勢長島の戦いの他にみる例は希少であろう。

天正2年(1574)6月23日、信長は美濃から尾張国津島に移り長島攻めの大動員令を発動した。第三次長島合戦とでも云おうか。織田勢は陸と海からの長島への侵攻作戦を開始した。

完全包囲。これは籠城する一向宗徒の兵糧攻めを意味する。餓死する者、投降を望む者、一切に耳を貸さぬ信長は全滅のみに執着した。そして火攻め、死んで極楽を願う、綺麗事がそこには存在しただろうか。

追い詰められた者の究極を、死兵という。
死したも同然の兵にとって、死は恐ろしい対象ではない。ただ仇敵を滅ぼすまでの兵となって向かってくるのだ。大東亜戦争の「玉砕」にも似た現象だが、こちらは御家や国家など思惟にもない「ゾンビ」のように迫る存在。
人をここまで追い詰めたら、どうせなら道連れにという一線を越える。
この現象にまで、信長は一揆勢を追い込んだ。
被害は相当なものになった。
根切を誰もやりたがらないのは、ここにも要因があるのではないか。

薄甘い大河ドラマでは絶対に描けない、戦国の真実です。