藁、それは首のない胴体
山田浅右衛門。
身分では浪人扱いだが、平河町に屋敷を構え、忌み嫌われる仕事を請け負う。刑場や牢内における斬首だ。
首は、見せしめとしてさらされる。よく時代劇で
「三尺高いところに仲良く並んでいらあ」
などという台詞があるが、そういう見世物の意味合いが強い。
山田浅右衛門は人の嫌う、死の穢れを生業とした。そのうえで、副業が許されたのである。首のなくなった死体、これは浅右衛門が役得で得られるものだった。これで何をするのか。
藁(わら)。
この隠語が意味するものは、刀の試し切りに用いる藁、すなわち人の体を用いた切れ味の確認に要する商品ということになる。すなわち商売だ。
将軍家献上の名刀といえど切れ味はわからぬ。そこで浅右衛門に藁の注文がある。
日本刀を知る者ならば申すまでもないが、かなりデリケートな存在である。簡単に折れるし、腰が伸びる。へたくそが刀を扱えば、どんな名刀もがらくたになるのだ。試し切りの技も必要とされる。山田浅右衛門はこれを請け負った。一粒で二度おいしい商売である。
ただし、将軍家献上刀に疵でも付こうこうものなら、切腹。
このビジネスはハイリスクハイリターン。なまくらな者には決して出来ぬプロの仕事なのである。その点、大名家の依頼は気楽。斬るのはその家の兵法指南みたいな道場先生だから、ただグッズ販売だけ。
そして、刻んだ死体も無駄にはしない。
人体から調合した薬「人胆丸」。これが莫大な収入になった。
人の死という穢れを嫌った江戸時代の武士。
それに代わって、穢れを莫大な収入へと変えた山田浅右衛門。
持ちつ持たれつ、それが世のバランスを保っていたのかもしれない。
史実の浅右衛門に寄り添った作品「継がぬ家」はアルファポリスにて公開中。
フィクションの伝奇「魔切」は11月3日よりアルファポリスにて公開開始。
ふたつの山田浅右衛門。
秋から冬に向けて、身も心も凍えて下さい。