
蝦夷地、1800年3月
寛政一二年(1800)三月一〇日、出仕を命じられた原半左衛門は、この日、江戸城躑躅之間にて
「歎願を聞き入れるものにて、蝦夷地の警備と開拓を申し付けるものなり」
と幕府より沙汰が下された。
原半左衛門は黄金二枚と鉄砲五〇〇挺等を賜り、一八日に八王子へ戻った。そしておよそ一〇〇名の蝦夷地御用志願者を集ったのである。
これは、西多摩新聞で連載中の作品「千人同心がゆく」から
敢えて
除くことに徹してきた、蝦夷地開拓仰せつかり発端描写です。
五稜郭の戦いで滅茶苦茶にされてしまうまで、幕末まで続く蝦夷地開拓。千人同心の入植は、蝦夷地の歴史の大きな一歩でした。

苫小牧に残る千人同心入植の足跡。
今日とは比べ物にならぬ野生のただなかで、冬将軍と戦い、飢えと戦い、ときにはヒグマにも立ち向かったことでしょう。当時は、サバイバルといっていい開墾だった筈です。

すべては南進してくるロシア対策のため。
田沼意次の時代から、蝦夷地の領有を守ろうと尽力してきた日本人。そのための有識な日本人もいた。鎖国で人材がいなかったというのは、大きな間違いです。
どうして「千人同心がゆく」から蝦夷を外した
のかは、そのうち、この場でお話しできると思います。
現在は第24話「血梅-ちばい-」が発表中。令和改元からはじまったこの連載作も、来年くらいには終わるのでしょうか。どうでしょうか。ふふふ……蝦夷地の事、どうなのでしょう。
もうすこし、お待ちください。
