龍馬くじら飯 episode3
第3話 神戸 1864
勝麟太郎、海舟と号す。海こそが国際社会における日本の切り札となることを十分に理解している、稀有なる日本人だ。そう、幕府だの藩だのという思想は、咸臨丸で太平洋を横断したときに、さっぱりと忘れた。列強に狙われる島国である日本の人、〈日本人〉であることを自称した。そのために大事なのは、日本の海軍を創設することである。
再三の談判で神戸に海軍操練所の設立認可を幕府から得たのは、文久三年(1863)のことである。資金の大半は、自分で確保しなければならない。
坂本龍馬とは実に重宝する男で、勝の思いもよらぬ機転で、まんまと福井藩から
「先見の明と呼ばれる出資になるき」
と、巧みな交渉で資金調達をしてきた。
「てぇしたものだな、おい」
ほら吹きを自負する勝麟太郎も、これには驚きだ。
神戸海軍操練所の開設は、元治元年(1864)五月である。入門する意思がある輩は少ないが、身分や肩書を問わぬ門戸は、新しい時代に必要なこと。何せ海の上に出れば、誰であっても等しく役割を果たさねば、舟というものは動かない。こういう考えそのものが新しいものだ。勝の意図を龍馬は理解し、右腕となって動いた。勤皇や倒幕などという目先の考えを越えて、志ある若者がこの学び舎に集い、貪欲に知識を求めた。若々しい情熱の渦巻く場所、それが神戸海軍操練所だった。
薩摩藩の伊東四郎左衛門、紀州藩の陸奥陽之助らは、お国が異なるだけに物事の理解も異なる。ひとつの物に対する見解も、それぞれの見方で大いに変わるのだ。龍馬という男は、こういうことを純粋に楽しめる器の持ち主だった。
「せっかくの縁じゃ、わし等はひとつ釜の飯を食らうだけの窮屈さよりも、大いに呑んで語らうべき思うがよ」
と、龍馬は伊東四郎左衛門と陸奥陽之助を誘い、神戸の酒場に出向いた。神戸開港とはいうものの、このときの神戸は開発途上。荒っぽい人足も多く、それだけに活力が漲っているのが特徴だ。
「おお、はりはり鍋があるやいか。これをつついで酒でも呑もう」
陸奥も伊東も、二人とも鯨には抵抗ない。そういうお国の出身であることは、龍馬にとっても都合がいい。食う物で不協和が生じることほど、くだらないことはないというのが、龍馬の持論だ。
伊東四郎左衛門は畏まった薩摩の暮らしが沁みついて、何かとがさつな龍馬の所作には呆れている。片や国を出て長い陸奥陽之助は、仕草の幼稚な龍馬を軽蔑していた。初手から三人とも、ウマの合うところは一切ない。
「薩摩では、鯨はよう食べるがか?」
「よう食たもっと」
「紀州は、知っちょっぞ。古うから捕鯨しちょっよな」
「そや」
これでは会話が嚙み合わない。どうして海軍に、という話題を、伊東四郎左衛門が振った。人に聞く前にと、自分のことを口に出した。
「江戸に出っせぇ、開成所でエゲレスんこっを学んだ。江川太郎左衛門殿ん塾で砲術も学んだ。勝先生んこっは、そんときから知っちょい。おはんよりも先に、儂ん方がずっとはよから学んじょったんじゃど」
やや皮肉を込めた口ぶりだ。神戸海軍操練所の塾頭とされる龍馬に、やや一物置いた挑発をしたのである。が、この能天気な土佐っぽは、嫌味を正面から受け止めておきながら
「そりゃあ、凄いものや」
と受け流す。こうもあっさりやられると、こだわる自分が馬鹿馬鹿しい。
「わいはどうなんじゃ、おい」
と、伊東四郎左衛門は陸奥陽之助に振った。ふんと鼻を鳴らしながら
「長州の頭がええ連中に、これからの日本がどう生まれ変わるかを聞いてん。門戸の狭い奴らはわしに学ばしてくれん。そやけど、勝とやらは気前がええじゃないか。そやさけ操練所に入っちゃったんやで」
気障な、高飛車な物云いだ。
カチンときたのか、伊東四郎左衛門は声を荒げて
「勝先生じゃ、先生と云え、無礼者!」
「うるせえなあ、一々絡んでくるなよ」
どうやら陸奥陽之助は、喧嘩を売ったらしい。その胸倉を掴もうと、伊東四郎左衛門が手を伸ばした。その手を、ガシッと龍馬が握る。凄い力で、振りほどけない。
一瞬、二人とも、息を呑んで、龍馬を見た。
「はりはり鍋、煮詰まるで」
にこにこと、龍馬は微笑んだ。なんだ、この仲裁は、どういう意味だ。伊東四郎左衛門と陸奥陽之助は、顔を見合わせて、引っ込んだ。黙って鍋に箸を伸ばした。鯨肉が煮詰まって、やや固い。
「どうせ食うやったら、美味い加減で食うががえい思うがよ」
独り言のように、龍馬が呟いた。なるほど、そういうことか。鍋も、人間関係も、目的のためには損ねずに温めるべき。この凡庸な顔で云われると、自分が上出来という自負に凝り固まっていたことが恥ずかしい。二人とも苦笑いを浮かべた。
「で」
「ん?」
「坂本どんなないごて、こん神戸海軍操練所を開っために奔走したど。どげん志があってなんじゃ。ぜひ、聞かせて欲しかもんじゃ」
伊東四郎左衛門の言葉に、龍馬は、じっと鍋を見つめながら
「夷敵に学ぶことこそ、攘夷であるし、門を開くことだ思うた。全部、勝先生と象山先生の請売りじゃ」
意志なのか、考えなしなのか、微妙な答えだ。ひょっとしたら、何も考えていないのかも知れない。伊東四郎左衛門と陸奥陽之助は、ふたたび顔を見合わせて、苦笑いを浮かべた。
「ほれ、早う食わんと、鯨が煮詰まる。あと、陽之助、水菜もしゃきしゃき食え」
「ああ、俺だけか?」
馬鹿馬鹿しい。伊東四郎左衛門は大笑いして、はりはり鍋に箸を伸ばした。
陸奥陽之助。のちの世の外務大臣。
そして。
伊東四郎左衛門、のちの元帥海軍大将・伊東祐亨の若き日の姿である。