伊那の歌詠み勤皇婆さん
8月14日のnote 記載で電子書籍「新選組婉曲録」を紹介しました。この作品はオムニバス書き下ろしなので、初見の作品もある方がいたと思います。楽しんでいただけただろうか。ただ、日野の新選組関係な場所では
「本はないの?本なら置ける」
みたいなリアクションもあり、ひょっとして新選組は電子書籍じゃあかんモノだったかと迷うことしばしば。
信じろ。信じるんだ。
本日ご紹介の作品は、同じく今年発売された電子書籍「やじより-松尾多勢子異聞-」です。
紙書籍を通り越して電子書籍と云うすっと惚けぶりも、夢酔流!
松尾多勢子。
50を過ぎてから勤皇に燃えて上洛し、長州藩や尊皇派公卿に信頼された。当時洛北に逃げていた岩倉具視は公武合体を唱えたことで天誅リストに連なる人物。これを解いたのは松尾多勢子の人物眼だとされます。
岩倉具視は終生、松尾多勢子に頭が上がらなかったと伝わります。
物語は勤皇婆と、勤皇の志士・品川弥二郎との、母子ほどに歳の離れたふたりの友情物語。この作品の新聞掲載にあたり、ご協力いただいたのは、多勢子生家の御子孫。それに中津川市中仙道歴史資料館。
南信州は国学の栄えた土地。
勤皇の志は民間にまで普及していたのです。
日本の歴史には英雄が大勢います。
英雄なんてただの神輿かもしれません。
支えてくれた人の大きさで神輿はいい仕事をするものです。
松尾多勢子の功績は、ここ⇒長野県下伊那郡豊丘村のご案内をご参照ください。また、歴史研究657号にも紹介手記を掲載しております。