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ゴールデンカムイの時代

アイヌの国だった蝦夷地に、和人が乗り出してきたのは、結構はやい。平安時代には渡党と称した陸奥の蝦夷〈エミシ〉はいた。鎌倉時代の十三湊は博多に並ぶ港湾だったから、蝦夷地とも往還していたことでしょう。
帝政ロシアの歴史は1613年のロマノフ王朝から始まる。18世紀頃にシベリアを我がものとした帝政ロシアは、樺太や千島列島にも進出している。アイヌの生活圏は今日の北海道ではなく、このあたりまで広域に及んでいることを忘れてはいけない。
お分かりの通り、アイヌ人はロシア人と和人の真ん中で巻き込まれたのである。純粋な被害者であるアイヌは、村という生活圏を維持しながら、もっと大きな国というものに飲み込まれ何れかに属すことが強いられたのです。
 
ところで昭和の頃には、架空の無国籍ロマンを描く漫画や小説が許された。空想ロマンの冒険モノの舞台として、北海道は格好の場所でした。ワクワクした方も大勢いたんじゃないかな。例えば、三島由紀夫の「夏子の冒険」というライトに素材としたものや、矢野徹の「カムイの剣」のようにガチなものまで、想像を膨らませることが出来ました。
どちらもアイヌはキーパーソンです。
平成から令和にかけての現代、やはり野田サトルの漫画「ゴールデンカムイ」がアイヌを軸にしています。
北海道がまだフロンティアだったからこそ、成立する物語たちです。現代人、とくに若者にとって、「ゴールデンカムイ」はアイヌ文化を理解しやすい教材です。
さて、蝦夷地アイヌには、真偽定かならぬ黄金にまつわる伝説が残されている。平泉中尊寺の金色堂に用いられた金箔の成分は、日高の新冠川水系アブカシャンベの砂金と同じと分析されています。奥州藤原氏の技術者が蝦夷地に入り、現地のアイヌと協力して採取したことが想像されます。江戸時代初期、アイヌの人口を上回る山師が蝦夷地に入り、徳川幕府から禁じられたそうですが、ここがゴールドラッシュの中心地だったことは間違いありません。それに加え、虚実定かではない伝説が各地で生まれました。
旧秋田藩では新政府に内緒で貨幣鋳造を続けたため没収回避のため、金の延べ棒を当時の蝦夷地にあった領内に隠した。
十勝忠類村(現・幕別町)の市街地北部にある丸山はアイヌ人からチョマナイ(魔の山)と恐れられていた。幕末の頃、海賊船「鬼雷丸」が松前藩に追われて丸山に財宝を隠したという。
オランダ東印度会社の探検船「カストリカム号」と「プレスケンス号」は蝦夷地の黄金伝説を知り出港。太平洋岸を北上したが、途中、八丈島付近で暴風雨に遭い、結局、カストリカム号1隻で北上を続け襟裳岬に漂着。アイヌ人に遭遇する。両の耳たぶにピアス孔のようなものがあり、あるものは環をつけていた。それは銅と金の合金だったという。
挙げ連ねればキリがありません。「ゴールデンカムイ」のモデルとなる砂金の伝説、実は今も陽の目を見ていないリアルな伝説かも知れませんね。そういう夢とロマンにワクワクする日常、久しく忘れています。
 
余談ですが、ウクライナ戦争の矛先。
本当は日本だったという声が多く聞かれます。北海道を丸ごと欲したロシアの野望、未だ尽きずです。アイヌがロシア人で、自国民保護のためと美辞麗句を並べるかも知れませんが、北海道アイヌに接触しているのは日本が先です。(この初稿は2022年のもの)


この話題は「歴史研究」寄稿の一部であるが、採用されていないので、ここで拾い上げた。戎光祥社に変わってからは年に一度の掲載があるかないかになってしまったので、いよいよ未掲載文が溜まる一方。
勿体ないから、小出しでnoteに使おう。
暫くはネタに困らないな。
「歴史研究」は、もう別のものになってしまったから。