市川彦大夫
千人同心がゆく・北のまほろば。
西多摩新聞にて連載中です。
作中に登場させなかったけど、面白いエピソードの人を紹介。
市川彦太夫。
原半左衛門手付として寛政一二(1800)年三月の蝦夷地移住第一陣に参加。その後、享和元(1801)年六月九日、病人を内地へ護送するため、八王子へ一時帰国。所用を済ませて、地獄のような蝦夷地に帰ってきた。そして、文化三(1806)年一月九日に鵡川で死去したとされる。
北海道取材は今年も出来ませんでした。
働きながら書くこと、書いてることを職場にバレないこと。今年からの職場は、これが大きく課せられた十字架になってしまいました。実は講演も手枷足枷状態ですしイベントも企画できず、顔出しも苦しい。
そんな八方ふさがりの状態で長期休暇を貰い北海道へ赴くのは、ムリなのでございます。
来年はどうなるか……。
蝦夷三官寺のひとつ様似等澍院には霊簿(国指定重要文化財)があり、「武川地役 市川彦大夫 戒名青雲院久拓量遠居士」の記録がある。
また、永安寺には市川彦大夫の墓石が遺されている。
それによると彦太夫が地役御雇として鵡川の地にいたことが判明しており、町史には汐見で「エンドトノ(江戸の武士)がコタンの浜の近くで色々なものを耕作していた」とある。このときの千人同心移住者とアイヌとの親密な交流があったことを裏付ける、たいへん面白い記述である。
千人同心を助けてくれたアイヌがいたことは、歴史の表で紹介されない出来事だろうね。