異形者たちの天下第4話-10
第4話-10 大坂という名の天国(ぱらいそ)
慶長二〇年(一六一五)、家康は京二条城で正月を迎えた。内裏へ参内し賀詞を進上した折に、後水尾天皇が浮かべた苛立ち混じりの表情は愉快極まりなかった。
底意地の悪い戯れをしたような、そんな気分であった。
「上野介」
家康は傍らの本多正純を招き寄せると
「三日には駿府へ発つ。ゆるゆるとな。その間に大坂城を丸裸にしておくように」
「丸裸ですか」
「そうとも、外堀だけで満足してたまるか。内堀も埋め立ててしまえ。三歳の子供でも登れてしまうような平地へ大坂城本丸を晒してしまえ」
「違約せよと?」
「違約ではない。勢い余った雑兵がやってしまったことにすれば問題ない。三郎(秀忠)にでも陣頭指揮をやらせるがよい。あれがやったことなら皆が納得するだろうよ」
「さりとて仮にも将軍ですぞ。阿呆過ぎるのを世間に流布されては、こののちの徳川の治世に障りが……」
「儂が百まで生きれば済むことだわ。ああ、生きてやろうとも……死ぬ気はさらさらねえずら」
家康の瞳に宿る邪な炎に、本多正純は背筋を凍らせた。
荼吉尼天と結縁し、これを厚く信仰する家康なら……或いは本当に百まで生きるかも知れない。秀忠よりも長命なら、孫の代まで徳川の権威を定着させることも出来よう。そうなれば徳川の幕府は安泰となる。
本多正純は家康が発ったのちに秀忠へ総意を伝えた。秀忠は嬉々と采配を揮い、大坂城のすべての堀を埋め立てた。
正月五日、近江国に陣を構えた家康は服部半蔵正就を召し出すと
「陣中不届き」
として烈火の如く叱った。不届きの理由は大坂布陣中、扶持米を横領したという讒言によるものだ。勿論、服部正就には身に覚えのない話である。申し開きしようとも家康は耳を貸そうともせず、ただ一方的に
「服部家は改易」
と沙汰するのである。
服部正就は失意のまま陣を去り、行方不明となる。
二月十四日にようやく駿府に戻った家康は、江戸の伊賀服部忍軍へ
「半蔵不行状」
を打診した。伊賀衆は服部正就の振舞いに失望し、不実極まりなしと口々に叫んで四谷笹寺に籠もってしまった。服部正就への抗議行動とも取れる一種のストライキだ。さりとて肝心の正就は行方不明、この一件は松平忠輝の仲介もあり、立て籠もりの首謀者四人を処罰する形で程なく解散となった。
もっとも忠輝も曲者で、一方的に罰を与えられる彼らの立場を考慮し、うち二名を取り逃がしたことにして決着をつけたのである。
駿府の服部屋敷は接収され、服部正重も蟄居を命じられた。罪状は、大久保長安の娘を妻としていることであり、今更ながらの問題である。こんな強引な方法を用いてまでも、家康は服部半蔵の痕跡を根こそぎ廃絶するかのように、徹底的にこれを弾圧した。正重はやがて村上周防守義明に身柄を預けられ軟禁される。
江戸に留まる一部の伊賀衆に残された任務は、非常事態に備えた江戸から甲州までの将軍警護の任だけである。この職にある者を除いて、服部家臣は領地も役職もすべて没収され浪人となった。せめてもの救いは服部正重の子・正吉が桑名藩主・本多美濃守忠政の家臣であり、その伝手で仕官先の融通がついたくらいだった。
二月末日深夜、家康はお六との交歓に夢中であった。
艶やかで張りを失わぬ若い乳房は、家康の骨張った老指を巧みに蠢かせるよう誘っているようである。黒々とした陰部の秘毛が白き秘髪に絡むだけで、家康も年不相応の巨根を漲らせる源となる。
淫靡というものを造形すれば、まさにお六そのものになる。この淫猥こそ荼吉尼天の効験だろうか。さもなくば七〇を越した老いらくの男が、孫とも呼べる年端の女に愉悦の涎を垂れ流し、萎びて役にも立たぬはずの陰茎を如何な若者にも劣らぬ巨根にまで聳え立たすことなど有り得ようもない。そう、それはまるで馬の如し。馬の陰茎の如し。
「大御所」
閨に声が響いた。
家康の耳にそれは確かに聞こえた筈だ。しかし知らぬ振りをし、家康は夢中で腰を振っていた。お六もその声に気づいて怪訝そうに天井裏へ一瞥したが、家康のそれに応えるように、殊更大きな声で淫猥な悶えを発した。
「大御所」
焦れたその声に、家康は動きを止めた。
「無粋が過ぎるぞ、半蔵」
「大御所が倅に罪を与えねば、こうも無粋はいたしませぬ。好きこのんで人の房事を覗いて楽しい筈はありませぬ」
服部半蔵の言葉には何処か棘があった。それが倅の処置に対する怒りであることを、家康はすぐに察した。そもそも服部家を潰すための冤罪だから、言い分はこちらに利なく、口論となれば不利となる。だから家康はすぐに話題を切り替えた。
「石田治部の御級は?大坂に奴が現れなかったということは、そちが討ち果たしたと考えても宜しいか」
「石田治部は確かに生きておられた」
「それで?」
「豊臣に忠節を尽くすことを諦めましたゆえ、出羽へ帰しました」
ややあって、家康の眉がひくひくと動いた。
「下りて参れ。仔細を聞きたい」
「御免被ります」
「半蔵!」
「荼吉尼天の化身と同席など、怖ろしい」
「……」
「駿府城には服部一族のための唯一の忍び路がありましたが、それさえも潰された由。おかげで手荒なことをしなければここまで来られませなんだ。もっとも今の儂は、倅のことで些か常軌を逸しておりますゆえ、大御所に狼藉を働くかも知れませぬ。面通しは互いに宜しくござるまい」
その言葉には本気が込められていた。
家康は背筋に冷たいものが走った。本気になった半蔵の気迫は、ひしひしと家康に突き刺さるようだった。
「石田治部を、なぜ生かした」
家康の問いに半蔵は即答しなかった。躊躇いがちな口調で
「大坂の次は何処を滅ぼしますか。大御所は徳川の天下のために、まだまだ血を欲するでしょうな。そんな御世で時代に捨てられる者は、これからも数多おりましょう。治部殿はそんな者たちのために生きようとしております」
「半蔵も、治部の考えに同意か」
「手前は判らなくなりました。服部家は大御所に忠節を尽くしました。最初の荼吉尼天騒動のときも御救いをしました。ああ、本能寺の変で困窮極まる大御所を、我らが伊賀より逃がし奉った。地位や出世など目もくれずに、ひたすら尽くして参りました。倅を処分したのは、大御所の秘密を知る家を根絶するためでしょうや」
家康は返事に窮した。
代わりにお六が
「そうだ、半蔵。家康は魔界と結んでいる。天下を取る野心を満たしてやるから、見返りとして血の臭いを献上しているのだ。それが契約だからな、当然のことである。お前は多くを知りすぎている。もう家康の身辺にいては迷惑だとさ」
「黙れ、荼吉尼天」
「耄碌した忍びはもう不要。野に下りて屍を晒してしまえ」
半蔵は怒りを理性で堪えた。そして押し殺したような声で
「大御所が天下万民を慈しむために天下を取るなら、儂は何でもいたしましょう。さりとて欲望のままに血を望むなら、もはや臣下の礼は取れませぬ。長い間お敬い申し上げましたが、謹んで禄を返上仕る!」
直後、臥所の天井裏から人の気配は消えた。
呆然と見上げる家康の陰茎を、お六はぎゅっと握った。萎み掛けていた一物がみるみると生気を取り戻していく。家康も半蔵のことを忘れて、夢中でお六を押し倒した。
「ははは。家康よ、この魔羅はどうじゃ。そちの役立たずを駿馬のモノと取り替えてやったおかげで、こんなに愉しむことが出来ようが。すべては荼吉尼天を信仰したそちへの功徳である。愉しめ……愉しめ……愉しめ……!」
お六は淫奔な響きで家康の耳元に囁いた。
猛り狂ったように家康は太く巨大な陰茎を注送し続けた。もう脳裏には半蔵のことも俗世のすべてのことも消え失せていた。歓喜と倒錯の境地で、家康は厭くことなく何度も何度も果てては蘇り、お六を責め続けた。
魔界の臥所……そう呼ぶにふさわしい、おぞましき寝屋の闇の奥にて。