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大河ドラマの冒険

いまくらいの時代になれば、大河ドラマで
「歴史ドラマやめます」
と宣言して、昭和戦前戦中をいきなり描いても、ひょっとしたら感覚の違いから受け容れる人がいるのではないでしょうか。

山河燃ゆ』。
1984年(昭和59年)1月8日から12月23日まで放送されたNHK大河ドラマ第22作。
副題は「祖国は緑なる山河あたたかくもやさしき母なる大地」。原作は山崎豊子作の『二つの祖国』。大河ドラマとして初めて第二次世界大戦を扱った作品であり、翌年の『春の波涛』、翌々年の『いのち』へと続く「近代大河3部作」の第1作。その後、『独眼竜政宗』で歴史ドラマに回帰し、現在に至る。主演は九代目松本幸四郎。

ただし放送は昭和。先の大戦も昭和。
もしも平成に戦争があって、大勢の夥しい凄惨な国家の破綻を観た世代が令和になって、こういうものを制作したら……。それくらいの衝撃だった。しかし昭和の人は、あやまちを顧みる冷静さを持っていたし、衝動をこらえる理性があった。つらい時代を思い出し、我が事のように涙しながら視聴したと思う。
こういう冒険を大河ドラマがやったのは、時代の側面という苦肉の策という側面もあっただろう。

この作品で注目したいのは、正面から過去の戦争に向き合った作品作りをしたということ。従軍カメラマンの手紙の形で南京大虐殺を表現し、記者は死体などの写真は没収され嘘の記事しか送れないと嘆く。ハルノートが事実上の最後通牒であり米国から戦争をしかけたと描く。「犬とジャップは入るべからず」という日系人差別のアメリカ世相も描いた。ただし原作では東京裁判の不公正・不公平さが強く訴えるものの、ドラマは簡素化表現になった。まあ、当時のNHKとしてはギリギリまでやったのだと思う。

原作者、山崎豊子氏は社会派な作品が多く、『大地の子』も執筆したが、NHKのあのドラマをみて衝撃を受けた方々は多かった筈。
脚本家の市川森一も社会派を漂わせる作風を土台に、多岐にわたり活躍した。大河ドラマは『黄金の日々』以来のもので、のちに『花の乱』を描く。

戦後30数年、観ている人も、制作している人やその家族も、まだあの戦争の記憶がある時代の作品だから、三国人の干渉で妙ちくりんなファンタジーにされていない。何より原作が骨太で、脚本家も熟練の方。好きではないジャンルだと云う方も、ワンシーンを切り取れば、つい見入ってしまう。役者もいぶし銀だし。

実は。
アメリカでは1984年に本作が放映されると、日系社会から猛抗議が起こり放映中止に追い込まれたという逸話もある。
NHKが他国の放送テロに振り回され自浄もできない有様だと、これほどの冒険はもう出来まい。

令和に『いだてん』という近現代的な、国民扇動を意図したようなドラマが作られたが、クドカンの軽妙な風刺と痛烈な毒だけが救いで、やはり国民的に受け容れ難いドラマに仕上がった。
原作とか、強い骨や芯があれば、メッセージ性はひょっとしたらあったかもしれないが、実際の東京五輪のようにバカ騒ぎで幕を下ろしたという感が拭えない。それでもリアルでは汚職五輪で、まだドラマの中は清潔だったというのも悲しかった。

昭和に放送された「近代大河3部作」は、当時の放送と視聴者反応からみれば失敗だったかも知れない。が、こうして四半世紀以上経過すると、ようやく理解出来そうな気になってくる。
「いだてん」は、どうなるかわからんが。
大河ドラマも制作意図や見えない場所からの干渉や、思い込みの強いマニアや原作を使わないオリジナル脚本で、歴史への興味のちょっとした引出しという役目を果たさず等しい。
「この物語はフィクションです」
という番組末の字幕が登場する日も近いと思う。

戦後80年を迎えるにあたり、いつか正面から、祖父や曾祖父たちに向き合って恥じぬ「昭和」の大河ドラマが誕生したらと、ひそかに願うところです。

少なくともこの作品は敬意だけで必死に描きました。
萩原タケが、ドラマで描かれる日を期待します……!!