対日戦勝記念日って、なに?
伝統的な戦時国際法においては、休戦協定の合意は口頭による同意によればよく、文書の手交を要件としないとされる。
さて。
対日戦勝記念日。通常ならば日本政府が公式にポツダム宣言による降伏文書に調印した昭和20年(1945)9月2日を指すものである。しかし、連合国という枠組みにある筈の中華民国やソビエト社会主義共和国連邦の場合、対日戦勝記念日はその翌日9月3日である。
はてな。
中華民国の場合、日本政府が降伏文書に調印した9月2日の翌9月3日に、国民党政府がこの日より3日間を「抗日戦争勝利記念の休暇」とした。そのことに由来する。中華人民共和国もそれに倣っているんだな。
ソビエト連邦の場合は、政府が降伏文書調印の翌日9月3日に「戦勝記念式典」を開いたことにちなむそうだ。現在のロシアにおいて、日本を非友好的とし、2023年6月に「軍国主義日本に対する勝利と第2次大戦終結の日」と改めロ議会で可決している。
北方領土などで日本に勝利したロシアの記念日。
へぇ。
日本人なら知っているよね。
彼らの戦勝の足跡を。
昭和20年(1945)
8月15日 日本、無条件降伏(敗戦、戦争の終結)
8月17日 樺太最大の都市恵須取をソビエト軍制圧
8月18日 占守島にソビエト軍侵攻、やむを得ず日本軍が防衛し撃退する
同日 樺太古屯をソビエト軍突破、南下
8月19日 大本営から占守島に停戦命令
8月20日 ソビエト軍再び占守島に侵攻
同日 南樺太真岡へソビエト艦船から上陸
8月21日 停戦協約成立
8月22日 停戦成立後の南樺太豊原へ無差別爆撃空襲
8月23日 占守島日本軍武装解除、捕虜となりシベリア抑留
同日 南樺太豊原にソビエト軍進駐
同日 疎開船小笠原丸・泰東丸・第二新興丸、留萌沖でソビエト潜水艦
により撃沈
8月25日 南樺太大泊にソビエト兵進駐
8月27日 樺太にソビエトの軍政開始、残留日本人の行動規制
8月29日 択捉島占領
9月1日 国後・色丹島の占領
9月2日 米軍ミズーリ号艦上にて降伏文書調印
9月3日 歯舞群島上陸開始
9月5日 歯舞群島、占領
同日 満洲・朝鮮半島北部・南樺太・北千島・北方四島完全支配下、
ソビエト軍はここで戦闘を停止する
本土終戦からさらに半月も戦闘行為が一方的に行なわれて、流れなくてもいい血を流し、奪う土地・女性・財産その他諸々の搾取を重ねて、現在のロシアはこれを正当化してはばからない。
恥知らずな国だ。
が、本当に恥を知らないのだから無駄な口論はしない。
戦勝した記念。
へー、おめでとー。
占守島が武装解除させられてよかったですねー、ソビエトは初戦で惨敗しました。出鼻くじいた日本が、さぞや憎いでしょうね。このノリで北海道まで分捕りに行きたかったのに、残念。