この世界の片隅にあった遊廓
映画「この世界の片隅に」。
NHKでも夏が来るたびに企画番組を放送するほどの作品になりました。今年はやらなそうですけど。
アニメーションもよいですが、こうの史代先生の原作漫画も、読み込むとたいへん深いものを感じられます。
今回は主人公・すずさんと交流した遊廓の女性・りんにスポットを当ててみます。架空の人物ではありますが、この時代、広島に遊廓が存在していたのでしょうか。
昭和5年(1930)発行の艶っぽい書籍「全国遊廓案内」によれば、当時の広島市には遊廓が2個所、存在していたとあります。入船町にあった西遊廓が成立したのは明治25年(1892)。その頃の広島市は活気に溢れていました。老舗名産品店の長崎屋が出来たのはこの年。広島県立広島測候所が広島市大字国泰寺村(現在の中区千田町)に移転したのもこの年。そして2年後の日清戦争に向け、宇品港や海軍関係は羽振りもよかったのではないでしょうか。
もうひとつの遊廓は10年後の明治35年(1902)に成立する東遊廓。けったいなことに、これも2年後に、日露戦争が起きる。まるで狙ったような、極めて戦争のタイミングの合わせたような都合の良さといえる。
前者同様、ここが命の洗濯場となったことは、想像に易い。
で。
「全国遊廓案内」のデータを引用するならば、昭和5年当時、妓楼は40軒ほどになり、200人を超す娼妓がいたのだとある。このあたりは延べ数字で、正確なものではないだろう。
兵隊さんが集まるところには自然と遊興や快楽を売り物とする店が集まる。遊廓はその最たる娯楽。死と隣り合わせになったとき、人間は欲望に忠実になるそうだ。日清・日露当時の兵隊は必ずしも志願兵ばかりとは限らない。徴兵された者もいる。そういう人間ほど、生への執着があり、欲望も強いのだろうというのが、私見だ。
山縣有朋曰く、徴兵制を導入すべき理由のひとつに、志願兵制はコストがかかるとある(明治五年起草・山縣有朋意見書「論主一賦兵」)。昨日まで市井の善人が、徴兵の命令ひとつで境遇も未来も一変する。この恐怖を冷静に受け止められるほど人間は強くない。だから、命の洗濯場を欲する。勝手な都合と理屈かもしれないが、遊廓の成立するプロセスは自然と納得させられる一面もある。反面、命の洗濯をする側にも、色々と事情がある。彼女たちを総括して、娼妓という。
この作品で遊廓が登場するのは、昭和19年8月のシーン。すずさんが闇市へ買い物に行って迷子になり、座り込んでいたのが「朝日遊廓」の路地端。この朝日遊廓は広島市ではなく、呉市にある。朝日遊廓のほかに吉浦遊廉・音戸遊廓・羅遵遊廓・福虫遊廓があった。呉は鎮守府。海軍さんが命の洗濯にきたことは間違いない。
戦前の遊廓。明治5年に制定された「芸娼妓解放令」は直接的に機能したとは難い建前のようなもので、現実的には翌年、「貸座敷渡世規則及び娼妓渡世規則」というザル規則が誕生する。このことを完全悪と断ずるほど、夢酔は聖人ではない。
遊廓に売られる娘は、基本的には貧困の中で売られる者か、没落して流れるか、どのみち常識の通用する経緯を辿ったものとは考え難い。「この世界の片隅に」に登場するりんという人物の場合は、浮浪孤児だった前身が冒頭でさりげなく描かれていたが、現代の常識にあてはまらぬ経過を辿って流れ着いたものと推察する。
作品は毒々しい部分については敢えて描かず、その深層を読者の想像に委ねている。ほっこりとした世界観が、毒気をつい清めてしまう。しかし、その露わにされることのないサイドストーリーは確かにあって、ゆえに遊廓の娼妓としてりんというキャラクターが存在していたのである。
りんは、物語の世界観で異彩を放つもうひとりの主人公だった。
広島市の遊廓は、昭和20年8月6日、原子爆弾により瞬時にしてこの世から消滅した。その後の遊廓や赤線青線と呼ばれたものは、復興された広島市に生まれたものだ。
呉市の遊廓は戦後衰退して、現在は映画「この世界の片隅に」の聖地巡礼をする観光客が安心して歩ける住宅街に変貌を遂げている。
【参考資料】
「この世界の片隅に」 作者:こうの史代
刊行:双葉社
「映画 この世界の片隅に」 監督:片渕須直
原作:こうの史代
配給:東京テアトル
「映画 この世界の(さらにいくつもの)片隅に」
監督:片渕須直
原作:こうの史代
配給:東京テアトル
「全国遊廓案内」 編者:全国遊覧社
復刻編集:渡辺 豪
復刻発行:カストリ出版
「明治時代の日本では9割近くが兵役を免れた──日本における徴兵制」
著者:尾原宏之(甲南大学法学部准教授)
掲載・Newsweek日本版
「被爆前の広島」
掲載:中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター
この話題は「歴史研究」寄稿の一部であるが、採用されていないので、ここで拾い上げた。戎光祥社に変わってからは年に一度の掲載があるかないかになってしまったので、いよいよ未掲載文が溜まる一方。
勿体ないから、小出しでnoteに使おう。
暫くはネタに困らないな。
「歴史研究」は、もう別のものになってしまったから。