🔹教員採用試験③へえそうなんですかあ
臨時講師3年目 9月
大学現役のときと合わせて4回目の採用試験で初めて2時試験を通った25歳
私は和太鼓部が設立されたI小学校で四年生を担任していた
私は
夢の夢であった《小学校の先生》の採用試験に合格したのだ
勿論両親も喜んでいた
妹も喜んでいた
家族がなによりも喜んでいた
私はI小学校で四年生担任と和太鼓部の顧問でバリバリの情熱で学校に通っていた
ある日、校長と話す機会があった
私が合格の喜びを報告に校長室に出向いた時だったろう
『繭子先生、よかったですねぇ。』
当然の如くお互い喜びあったのち、校長は話を続けたのだ
『繭子先生が、
前の学校の臨時の先生をやっていた冬、
実は本校で、1月に産休に入る先生がいた
そこに、本来であれば代わりの先生を入れなければならなかった
しかしそこに埋めてしまえば、繭子先生を引っ張ることはできなかった
だから、3学期は、担任を置かないで、校長と教頭で代わるがわるクラスに入ったんですよ。』
へえ、そうなんですかぁ
私は、臨時3年目はそのようなご縁があって、I小学校に赴任できたんだ
へぇ、そうなんですかぁ
としか言いようがない
私が懇願したわけでもないし、私は辞令通りに従っただけなのである
でも
その和太鼓指導者
として、人事異動があったことには感謝しかない
つまり、臨時2年目の終わりに私を引っ張っていたが、既に私は落ちていたため、臨時3年目の働き口が和太鼓の指導者として、ということになる。
そして、臨時講師3年目のI小学校勤務の時に、二次採用試験に合格した
そのまま私は
次の年I小学校へ新採用として赴任となる。
私はI小学校に
臨時として1年
本採用(育児休業含め)として4年
合わせて5年間勤務した
私の新米教師はまさに高学年担任と
和太鼓顧問であった
学校では10年間卒業記念品の代わりにお金を贈呈して貯めに貯めたお金で、和太鼓も購入
地域の期待の部活動であった
曲を三曲つくれと言われて作る
手探りだった
太鼓部員40名
一人残らず『パカン』でもいいから叩かせてくれ
という教頭の指示
三曲の中に太鼓部員全員が代わる代わる叩けるようにアレンジするのが一番大変だった
子どもたちは一生懸命であった
6時間目が終わり、帰りの会が終わると、どこの教室からも、小走りで太鼓部員が体育館に行くのだ
私は廊下を走る部員に声をかけたことがある
『ねえ、
なんでそんなに張り切ってるの?』
子どもは迷わず答えた。
『繭子先生に褒められたいからです!
んで、太鼓を叩くとストレス発散になります!!』
イキイキしていた
キラキラしていた
へぇ、そうなんですかあ。
私の太鼓の指導は
それはそれは愛と鞭
手に豆をたくさん作って
本当に一生懸命子どもたちは太鼓を打ち続けた
太鼓の舞台も拍手喝采であった
これだけで
私は
教育界を賑わせることができた
子どもたちの
情熱溢れる姿を
有らん限り披露させていたのだから
和太鼓パフォーマンスをいつか海外でする時を捉えることができるか私