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🔹先生は辞めとけ!③

👩『おら小学校の先生になる!』

自らの体験で初めて夢を持つ。

高校3年生の夏。

下宿していた私は、実家に帰り父に言った。

👱‍♂️『バカか!俺は学校の先生なんか、大嫌いだ。人に話は教えるけども、人から話を聞かない。警察、医者、先生(口悪くてすみません🙏)
 
 
高齢社会になり、お年寄りは増えるのに、子どもは減る一方!

第一、お前みたいな ボンクラが
学校の先生になれるわけがない!!

黙って看護師になればいいんだ!

大学に入れるお金はない!!

…………………撃沈……………

せっかく、自分から夢を持てたのに、お金の面でも世話になる父に
そう言われたからたまったものではない。

今思うと 
初めて父に反発心を抱いた体験となる。


父にとっては
『僕は内閣総理大臣になりたいです!』
とかと同じように何を夢みたいなこと言ってるんだ?
的な感じだったのかもしれない。

農家(祖父母と母。父は役場)に生まれた私は
先生になるには
大学に入らなければならないということを知らないでいた
 
大学に入りたいのではない

先生になるために、たまたま四年大学に入らなければならない

という現実

しかも、看護師志望クラスにいたこともあり、5教科満遍なく勉強をしたわけでもない

時期も時期
国公立ではなく

私の成績的に私立を選ばなければならなかった

親からは
大学に入れるお金は払うつもりもない  

私が先生になれっこない


真っ向から夢を反対され
1ヶ月以上口もきかなかった

私の心は次第に曇っていった

そんな時だった

高校で担任から声をかけられる

🧑‍🏫『繭子さん、暗い顔してどうした?

  繭子のいいところは 
      笑顔だべ!?

👩『私は看護師ではなく、小学校の先生になりたいんです。でも、親から反対されています。』

🧑‍🏫『そうか!繭子は
  看護師より先生が向く!!
ならば、三者面談をしよう。』

それからというもの、担任が勧めてくれた児童文学灰谷健次郎氏の本を読んだり

担任の教科英語だけは毎時間やる小テストで100点取るだけの勉強をしたりと

目の前のことだけは頑張った

進路指導の数学の先生も応援してくれた

よほど先生方も応援してくれたのだろう

通信簿英語2.数学確か3 
だったのが、一気に  
《5》がついてきたことを覚えている
(勿論5の力はあるわけがない)

そしていよいよ三者面談

担任になんと言われようが、絶対、大学には入れない

という父の頑固たる姿の隣に下を向いて座る私


🧑‍🏫『繭子さんは先生になることを夢見て、勉強を一生懸命頑張っています。看護師より先生に向きます。どうか、娘さんの希望する夢に協力してくれませんか’。』


👱‍♂️『………………………。

三者面談は
父がほぼ言葉など発さないまま終わった。

父の車の助手席に乗る。

沈黙が続く。

恐る恐る私は聞いてみる。

👩『先生にしなるために、大学に入ってもいいが?』

沈黙
沈黙
沈黙

しばらく重ーーーーーーい空気が続く中

唸り声?
唸り返事??

低いドスのきいた声で

かすかに聞こえた

👱‍♂️『           ぅん      』


その瞬間

私の目の前の

扉がバァッーーーーーーって開いて

向こうから
金色の光のシャワーが降り注いできた


目の前に
明るい広ーい道が

ばぁっーーーっと開けたのだ


光の世界だった


やったあ!!!!!!

#夢 #小学校の先生 #進路  

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