頭をクリーンにして幸せに浸る
ちょっと大げさなタイトルにしてしまったが、私の中では伝えたいことに近い言葉だと思う。
以前から取り組んでいる”感覚”に生きること。言葉で考えることを離れて、感覚を優位に感じる。これを日ごろ意識をしている。
なかでもエレベーターの呼吸というのが感覚へと戻っていく強力なツールだと感じている。(エレベーターの呼吸はyoutube参照)
エレベーターの呼吸をしているときは、感覚へと集中させていく。もちろんたくさんの思考が湧いてくるが、気づいたら感覚へと戻っていく。地道な戦いでもあるが、慣れてくると思考の声が減ってくる。
このエレベーターの呼吸をするたびに一段階ずつ自分が変化しているように感じる。例えば、いつもなら考えたら止まらなくなってしまうことでも、気づいたらふっと止めることができる。止めるというよりも、感覚へと戻って行ったら消えてしまうような感じ。
だからなんかサラサラして柔軟で、引きずることもなくなんか”いい感じ”なのである。
今日、夕方家へ帰ってからふとあることに気づいた。いつもなら何でもきちっとしていないと気が済まないタイプだった私。その私が、ルーズに過ごしている。
例えばアイロンをかけているときに音楽を聴いて、それから効率的とか時短とかそんなことよりも”いまのゆったり”を大切にしている。
ふとそんなことに気づいた私は、今後のするべき家事の予定をクリーンにしてしまおうかなという気に襲われた。
そう、予定はなしチャラ。
そしたらすごく呼吸が深くなって”今”に生きられているように感じている。
以前はせかせかしていた。特に時間どうりに!効率的に!早く!といってカチカチして過ごしていたと思う。でも、ほんとウニそんな必要はあったのだろうか?
正直に、心の安定を得られている今の方が”せかせかしていた時”よりもずっといいと思っている。
正直にいうと『効率とか、時短』が悪いわけではなく、自分の心持ちが大切だったのだなと思う。
そしてこれらのことは、『感覚』に意識を持っていくときに得られたと思う。というか智恵というのかな、ふっと色々なことに気づかされる。
頭で考えることなんて、結構しょうもないことばかりで大したことがないように感じるようになった。余計にややこしく、複雑に絡まって動けなくなるのが思考なのかも!?と思っている。
因みに今のところ、感覚を優位にして思考を減らしても困ったことは一つもない。逆に穏やかに過ごすことができている。
もっとどうなっていくのかが楽しみである。
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