鬱病、killjoyする
昔から、他人を絶句させるのが好きだ。
いじめっこ達が体育などで二人組で球技をやる時に、いじめられっこが一人ポツンとするのを嘲笑って楽しもうとしていると、敢えて自分からいじめられっことペアになって、いじめられっこといじめっこ達の両者を呆然とさせたりしていた。どちらも一匹狼の私の行動の意図がわからないのだ。しかし、私自身は予定調和のような悪意は客観的に見てても面白くないし、人が驚く顔を見るのは悪戯心がくすぐられて楽しいのだ。
英語では、空気を読まないこういう行動のことをkilljoyという。単語通り、joyをkillする。喜びを殺す行動である。日本語で言うところの興ざめみたいな意味だ。
そんなkilljoy好きの私は大学生の時から、企業問い合わせフォームを通じて年に一度程度、気が向いた時に感謝を述べてきた。これも、特段善を積もうとかそういう魂胆ではなく、クレームばかり対応している人が、私からの感謝のメッセージを受け取って「は?それだけ言いに来たの?」とメッセージの向こう側で拍子抜けしてほしいのだ。
母子家庭で育った私はトラウマ等により記憶が解離している部分も多く、以下は母親から伝え聞いた話だが、私の生物学的な父親は、某財閥系の企業でクレーム対応の部署にいたらしい。父親自身、田舎に育ち、馴れ合った連中としかつるんでこなかったため、都会育ちの洗練された人間達と共にコンクリートジャングルで働くには、コミュニケーションが粗野で品がなかった。故にクレーム対応もスマートに受け流すことができず、そんなストレスを家庭内暴力で発散していたようだ。その因果関係は勿論正当化されないのだが、私が得た知見は「クレーム対応って大変なんだな」という事実である。そこで企業のお問い合わせボタンの向こう側にいる大変な人たちを拍子抜けさせたいという悪戯心が産まれるわけである。
とは言っても、昨今のぽっと出のインフルエンサーやモデル、YouTuberがやるPR案件のような、自分が使ってない製品に対して思ってもない綺麗事は言わない。本当に使ってみて、本当に感動した商品にだけ感謝を送るのだ。
大抵は無視される。企業側からしても、「どういたしまして」以外言うことはないので当然であるが、今までで一番素敵な返信をくれたのは、龍角散の会社である。あなたの風邪はどこから?と聞かれたら食いぎみに「喉です!!」と言えるほどに私は扁桃腺が腫れやすく、龍角散のど飴は手放せない。故にそんな意味の感謝を送ったところ、詳細は忘れたが「こちらこそ、弊社の商品を愛用してくださりありがとうございます。」みたいな返信を貰った。
感謝を送って返信をもらったのは5年程前だが、未だに都内で龍角散の広告を見ると嬉しくなる。どうでもいい感謝メッセージに対して、業務時間内なのに返信を送る余裕がある優しい人が働いている事実に現れるように、人材を大切にする企業はやはり残るのだ。
次のkilljoyのターゲットはどこの企業にしてやろうか。無意識に自分の生活を彩るサービスに想いを馳せるのも悪くない。
明日も自分に優しくできますように。