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私の「しっくり」|生殖記(朝井リョウ)

「生殖記」
聞き慣れない単語をタイトルに冠するこの小説は、
主人公である尚成の生殖本能の視点から「ヒト」という種族の生殖に関して記述されていくという物語である。

自分で書いていても不思議な表現だと思うが、まあそういう小説である。

タイトルも印象的だが、その装丁も目を引くものがある。
(前作「正欲」の装丁も印象的で「単行本を持ち歩くことが意思表示になる」みたいに言われていたのが懐かしい)

白地に三文字だけのシンプルなデザイン。
文字は銀色だが、見る角度によって虹のように色を変える。
これは本作のテーマでもあるLGBTQ+を表しているのかなと思って、装丁を剥がしてみると全くの無地。
これが意味することとは?

小説の内容に戻る。
種族の個体数を増やすために生殖していくという本能が、自我というか、意思というか、思考のようなものを持つという設定であり、小説の地の文はその生殖本能視点で描かれる。

尚成は男性の同性愛者であり、過去に家族や学校で周囲から拒絶される経験を通じて、異性愛者主体である社会に「擬態」しながら生きる30代の社会人である。

異性愛者を主体とした社会の基本コンセプトは「拡大、発展、成長」。
そのことを意識的または無意識的に自覚して日々を過ごす周囲の人間達と、その基本コンセプトによって存在や思考を封殺されてきた尚成の、絶妙にズレたやりとりに、生殖本能が第三者的にツッコミを入れていく。

余談になるが、
生殖本能視点の時の文体が、朝井リョウさんのエッセイの文体と似ていてクスッとしてしまう。
そういったコミカルさもありつつ、要所でグサグサ刺してくるので読んでいて油断ならない。


資本主義社会における「次」の自分

それは、需要を飛び越えてでも新たな商品を売り出し続けることで成立している資本主義と同様に、ヒトも自分自身を良きタイミングで新商品化させているということです。
(中略)
仕事でも家庭でも社会貢献活動でも何でもいいから、自分を走り続けさせてくれるものが欲しいのかもしれないですね。

生殖記|朝井リョウ

ヒトは現状にとどまり、「ただそこに生きている」ことができない。
なぜなら、「拡大、発展、成長」こそが社会の基本コンセプトであるから。
自分自身も変わり続け、常に「次」を用意しないといけない。
そのために、定期的に自分を新商品化する。

具体的には、仕事や住む場所、付き合う相手を変えてみる。ライフステージを変えて、次の世代を作り出す。
庇護が必要な幼体は、次々に「次」を与えてくれる存在になる。

次世代を生み出すことが出来ない同性愛者である尚成にとっての「次」は?
手頃な「次」が無い状態は虚無を生み出し、自分を蝕む。

永遠に終わることのないレースを走り続けるしんどさ、怖さがある。

終盤、
尚成は作るのが難解なスイーツを時間をかけて作り、それを自ら食べてカロリーを大量摂取し、摂取した分だけ大量に運動することで体型を維持しつつ、虚無に追いつかれないように時間を消費する、という解決策を編み出す。

一見狂気的にも思えるが、これが悩み続けてきた(悩み続けている)尚成が見つけた自分にとっての「しっくり」なのだ。

どんなに奇妙だったとしても、自分にとって理由抜きに「しっくり」きて「幸せ〜!」と思える生を探していくんだなと。

それにしても、朝井リョウさんの文章は怖い。
だんだんと小説の世界観に慣れてきたところで急に刺してくる。
当たり前だが小説は文字だけなので、登場人物の背格好などといったものを自分の無意識や偏見を使って作り上げることになる。
描かれる発言内容をもとに、描かれない部分も想像するが、「この人物の外見、こんな感じだと思ってませんでした?」という瞬間が要所であり、無意識の偏見を暴かれているような気持ちになる。

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