「自責」が辛い方へ ~未来の「創り手」という考え方~
こんにちは!
「自責」という言葉に苦手意識を覚える人はいませんか?僕自身、この言葉が少し苦手です。
人生に悩んだとき、多くの人が目にするのが「自責」や「他人のせいにしない」という言葉。
確かにその通り。でも、「責」という文字を目にすると、どうしても「責める」というニュアンスが強く感じられてしまいます。
僕は以前、有名な『嫌われる勇気』を読んだ時にこんな感覚になりました。
「え、まだ俺のせいなのか……」
「他人のせいにしない、なんて分かってるよ」と。
むしろ僕は責任感が強い。
常に自分を追い込み、苦しくなることもしばしばでした。
(振り返ると、それすらも“他責”の一種だったのかもしれませんが……)
そんな僕のような人に、少しでも心が軽くなるヒントをお伝えしたい。
そこで今回は、僕が実践している「自責」の言い換えについてお話しします。
「どうしてこの出来事が起きたんだろう?」
一時期、本当にどうしようもない出来事が立て続けに起きました。
僕自身、全力を尽くしていたつもり。でも、それでもうまくいかない。
そんな状況で「もっと頑張らなきゃ」「自分がダメだからだ」と、自分を責め続けることは、さらに苦しいものです。
そのとき、僕はふと考えるのをやめ、「あ、もう無理だわ」とサラッと諦めてみました。
すると、不思議と少しだけ心が楽になったんです。
そこから、
「どうしてこの出来事が起きたんだろう?」
と自分に問いかけるようになりました。
自分にも何らかの原因があるのかもしれない。でも、当時の自分はベストを尽くしていた。それだけは確かでした。
「もうひとりの自分が起こした出来事」
そこで僕は考え方を少し変えてみました。
「この出来事は、もうひとりの自分が起こしたんだ。」
この「もうひとりの自分」というのは、本当の自分、未来の自分、理想の自分──そんなイメージです。
これは「責任追及」ではなく、「原因究明」に近い考え方。
もうひとりの自分が何かを伝えるためにこの出来事を起こしたのだとしたら、それはどんなメッセージだろう?
そう考えることで、僕の中で「自責」という言葉が、少しずつ「創り手」という感覚に変わっていきました。
これからどんな未来を創っていく??
では、その「もうひとりの自分」は、これからどんな未来を創っていくべきだと言っているのか?
それはとても前向きです。
どこか諦めもあり、どこか投げやりでもある。でも、「よし、じゃあどんな出来事を創ってやろうか?」という未来に対する責任は持っています。
喜びにあふれた人生が欲しいなら自分にとって喜ばしい小さな選択肢を選んでいく。そうして日々を創っていく。
例えば最近の僕なら、こんな小さな選択をしています:
コーヒーをココアに変える
暖房をちゃんと使う
暖かい地域への引っ越しを検討する
スキー板はケチらず憧れのモデルを買う
短期的なバイトをしてお金の勉強をする
どれも些細なことかもしれませんが、これらが積み重なり、日々を創っていってくれるのです。
暗い過去の「自責」から喜びに満ちた未来の「創り手」へ
「自責」は、自分を追い込むための言葉ではなく、「未来を創る」ための意識に変えていけます。
喜びに満ちた未来を望むなら、まずは小さな喜びを選び取ること。その積み重ねが、あなたの日々を創り上げていくのです。
「どうしてこの出来事が起きたんだろう?」
その問いを自分に投げかけながら、少しずつ「創り手」としての感覚を育んでみませんか?
自分を大事にしながら、理想の未来を創るお手伝いができれば嬉しいです。