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【山陽】舞子公園駅 120%満喫する JR舞子と高速バスと連絡 昔から変わらぬ絶景の地

いつ見ても、素晴らしい橋ですね、明石海峡大橋は。
 
この橋に出会えて、幸せです。
 
JR舞子駅に隣接した超高層複合ビルTio舞子の北側に、山陽電車の舞子公園駅があります。
 
Tio舞子は、スーパーマルハチ、ジュンク堂書店、ロッテリアなどが入っており、上層部はマンションとなっている、楽しいビルです。
 
一瞬だけ外に出ますが、当駅はTio舞子と直結していると言って良く、JR舞子と接続し、さらに淡路島とを結ぶ本四高速バスのバス停とも連絡している、ハブステーションとなっています。
 
橋上駅舎の下にある倉庫のような建物は、旧駅舎です。
 
2001年9月に新駅舎が建てられましたが、旧駅舎は取り壊されず、橋上駅舎の真下に、きれーに収まっています。
 
北出口からは地上にある小ぶりなロータリーに出られます。
駅の北側がきつい坂道となっていて、ここから入ると、改札階が地上1階のように思えます。
これはもう、垂水区マジックですね。
 
よく考えると、JR舞子駅もホームが地上1階にあります。
ですからそこを1階とするとですね、JRの改札階が2階、それと同じレベルの当駅のホームも2階、橋上にある当駅の改札階が3階、ということになりますね。
 
でも当駅橋上階の北出口から出ると、地上1階になるという、いやーほんと、垂水区マジックですね。
 気持ちよくだまされた気分です。
 
当駅の開業は、1917年(大正6年)。
兵庫電気軌道の塩屋-明石間延伸時に、「舞子」駅として開設されました。
 
1935年に、舞子公園駅に改称されています。
 
ちなみにJR舞子駅は、山陽鉄道による開業当初、舞子公園駅を名乗っていました。
 
ただしそれは明治半ばの1896年から1899年までの間で、ふたつの「舞子公園駅」が共存していた事実はありません。
 
とはいえ当駅が開業した1917年から1935年までの間は、ふたつの「舞子駅」が共存していたことになります。
 
まとめると、JRは最初、舞子公園駅としてスタートしましたが、途中から舞子駅に変わりました。
山電は最初、舞子駅としてスタートしましたが、途中で舞子公園駅に変わりました。
 
お互いに名前を交換したわけですね。
うーん、仲がいいんですね。
 
ホームの外側にあるこの階段は、地下道があった頃の名残と思われます。
橋上駅舎ができるまでは、ふたつのホームは、構内地下道で結ばれていました。
ロマンがありますね。
 
舞子は昔から、白砂青松の景勝地として、全国的に知られていました。
風や波によって松がさまざまな形で生えており、そのありさまが舞子が舞う姿に似ていることから、舞子という地名が生まれたとされています。
 
江戸時代は多くの待合茶屋があり、参勤交代の一行や旅人たちが、必ず休憩をして、素晴らしい景色を愛でる場所でした。
 
兵庫県たつの市の新舞子
滋賀県大津市の近江舞子
愛知県知多市の新舞子
石川県白山(はくさん)市の小舞子(こまいこ)
福島県いわき市の新舞子
 
みんな、神戸の舞子にあやかって付けられた地名です。
 
新潟県南魚沼市の舞子は、山の中にありますので、恐らく関係ないと思います。
 
明治天皇もよく舞子を訪れ、明治半ばに有栖川宮(ありすがわのみや)の別邸が設けられてからは、政界や財界の大物の別邸がよく建てられるようになりました。
 
有栖川宮別邸は、現在の舞子ビラです。
 
わたしは舞子ビラに2連泊したことがあります。
高層階の部屋から明石海峡大橋のライトアップを、ワインを飲みながら眺めていました。
 
24時になると消灯するのですが、足元で山電の最終列車、さらにJRの貨物などが走る姿が見え、深夜まで楽しめました。
 
副駅名、明石海峡大橋まえのまえは、なぜひらがななのでしょうか。
 
舞子の松林は、戦後になり、車の排気ガスや害虫などにより弱りはじめ、昭和30年代後半には最悪の状況となりましたが、防風防潮林の設置や松の植え替えなど様々な対策を行った結果、見事に回復しました。
 
当駅の目玉は、改札からは遠く離れていますが、ホームの端から、JRと山電のダイナミックな立体交差を眺められることです。
カーブしながらの入線が、かっこ良いです。
 
ここで両者の位置関係が逆転し、ここより西は、山電が海側を走ります。
 
直通特急は停車しますが、S特急は通過する、舞子公園駅でした。


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