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【山陽網干線】山陽網干駅 120%満喫する 網干線の終点

山陽電車網干線の終点、山陽網干駅は、兵庫県姫路市網干区にあります。
 
ホームの頭端部に改札があり、終点に来たなあ、と感じさせます。
 
この辺りは、網干の中心地。
もう少し内陸にJR網干駅があり、それなりに栄えていますが、公共施設や観光名所、昔からの社寺が集中しているのはこの界隈です。
 
網干は瀬戸内海に面し、伊保川のほとりにあるという立地の良さから、古くから農業、漁業、商業の町として栄えました。
 
駅前の南北の道路は県道27号。
北へまっすぐ行けば、5,6分でJR網干駅に着きます。
 
その先は国道179号を経てたつの市中心部に至ります。
 
当駅のすぐ南で、東西を走る大動脈、国道250号が走っています。
 
揖保川は当駅の西を流れ、播磨灘の河口までは、2キロほどです。
 
駅前にはロータリーがあり、タクシー乗り場とバス乗り場があります。
神姫バスの子会社であるウイング神姫が、山崎や御津方面とを結んでいます。
 
当駅は、綾部山梅林や新舞子海水浴場、さらには古くに栄えた港町、室津への玄関口となっています。
 
地名の由来のクイズのコーナー
 
網干の地名の由来は何でしょうか?
漁業が盛んで、網を干していたから。
うーん、ピンポーン! 正解です。
まあ、そうなるでしょうね。
 
この辺りは、遠浅の海を利用した沿海漁業や、のりの養殖も古くから盛んでした。
今でも、イカナゴ漁などが行われています。
 
駅ビルには、交番の他、チョコザップも入っています。
隣にファミリーマートもあります。
 
地名の由来をもう少し詳しく言うと、魚吹(うすき)八幡神社の放生会(ほうじょうえ)、つまり捕獲した魚や獣を野に放し、殺生を戒める儀式の際、漁師たちが網を干して参拝したことが起源となっています。
 
近代までは、揖保川が物流の主役で、木材や米などを積んだ高瀬舟が行き来していました。
 
明治以降、町の様相は激変します。
 
まず明治42年、竜野と網干港とを結ぶ路面電車が開通します。
これは阪神電車に次ぐ、兵庫県下で2番目の電車でした。
 
のちに新宮町まで延伸し、播電鉄道、播鉄と呼ばれ、竜野のしょうゆやそうめんなどを輸送していました。
 
しかし姫路に直接乗り入れる姫新線が開通すると、播鉄の利用者は激減し、昭和9年に廃線となりました。
当駅の前を走る県道27号が、その廃線跡です。
 
大正時代に入ると、ダイセル化学などの工場が進出し、町は工業化していきます。
今でも臨海部は大規模工場が建ち並び、播磨臨海工業地帯の一角を成しています。
 
そして1940年(昭和16年)、山陽電気鉄道網干線が全線開通し、神戸方面と電車で結ばれることになりました。
 
ホームは1面2線
日中のダイヤは、1時間に4本。
すべて飾磨行きとなっています。
 
1991年までは、通勤時間帯に飾磨でスイッチバックをして山陽姫路まで行く直通列車がありました。
 
1995年からワンマン運転を行っています。
 
1日の乗車人員は2400人です。
 
隣の駅は平松。
 
山陽電車は、その意欲的な名前からも分かるとおり、神戸と姫路を結ぶだけで満足するつもりはありませんでした。
飾磨から延伸して、岡山までを結ぶ構想があり、その免許の申請を行っていました。
 
しかし当時の鉄道省が、赤穂線の計画を立てていて競合したため、その申請は却下されましたが、網干までは認められ、それが網干線となりました。
 
まあ今から岡山までは無理だとしても、新舞子までは結べないですかね?
舞子好きのわたしは乗りますよ。


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