自分の中の常識を疑ってみる
それは本当に必要?
いつの間にか
自分で決めたルールだけど
本当に必要なモノ?って問い直してみましょう。
意外としなくていいものだったり
不要なこともあります。
私は最近になって
夕飯を待つのをやめました。
家族そろってから食べないといけない
って思ってしまっていましたが、
もう子どもも15歳になったし
帰ってくる時間もみんな違う。
お腹すいてるのに、待ってから遅めの時間に食べると
太りやすいじゃないですか。
しかも腹ペコ状態が続いてやっと食べれる!って
なると、食べ過ぎてしまうんですよね(ノд-。)クスン
なので最近は一切待ちません。
そしてみんな同じメニューである必要もない
事にも気付き、1人で食べる時は1人別メニューにすることも。
なるべく軽めにした方が体は楽な気がしています。
私の中の比重の話だけど
家族をいちばんに考える
特に子どもを中心に・・・
をやめました。
もう上2人は社会人、末っ子も高校生になると
私の生活の中心に据える必要がないというか
そばにいる時間の方が少ないんだよね。
今の私にとって1番の関心ごとは
自分のこと(笑)
どうしたいか?
どう感じたいか?
を常に考えています。
子どものことは今までより
ちょっと外側。
もちろん関心がないわけではなく
「わたしの」子どもたちという概念ではなくなった感じかな。
私の子どもたちではあるんだけど
ちゃんと別の個体(笑)としての認識になったかな。
今までとはちょっと違う距離感。
ずっと同じ距離間ではいられないんだね。
それも発見のひとつ。
寝る時間は自分で決める。
なんとなくだけど日付が変わらないうちに
眠らないといけないって思いこんでいたけど
好きな時間で良いと許可を与えています。
家族が寝静まってからの方が集中できるから。
日中も1人のことが多いんだけど
雑念が多い(笑)
ついつい家事のことを考えちゃう。
1日の終わり、今からしないといけない事がなくて
静かだから、自分のことに集中できるんだよね。
早朝にする方も多いかもしれない。
そして私が夜中にする事に
なんだかよくわからない罪悪感に似たものを感じていたんだけど
集中できるトキにしても良い
という許可を自分に与えています。
はぁ?って思うかもしれませんが
自分に許可を与える
これ大事です。
みんなね
自分に禁止を与えてることが多いんですよ。
禁止まで行かなくても
許可を与えていることが少ない!
これは幼少期のしつけの時期に
許可を与える事よりも
禁止を伝えるしつけの方が多いからじゃないかな?
と私は考えています。
ルールってしたらあかん事の方が多いじゃないですか。
だから、自分に対するルール作りも禁止事項の箇条書き
で作成してしまっているんじゃないかな?
それが自己肯定感の低さにも影響している気がしています。
自分に許可を出すのが下手な人多いんじゃないかな?
私自身もそうだったから。
しかも無意識でしてるからね。
気付けたら、もうすぐに許可を与えまくってほしい!