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頭の中の母親との決別

もう一人の母親

#エッセイ部門

私の中にはもう一人の母親がいた。
インナーペアレンツっていうのかな?
実はそういう本を見つけて読み始めたことがあったのだけど
怖くなってきて読み終えることができなかった。
だから詳しい事はわからないけど、ただ自分の中にジャッジしてくる存在がいる事を知る事ができた。

私の場合は母親だけど、もしかしたら父親の人もいるかもしれないし
両親ともだったり、育ての親だったり、祖父母だったりいろいろあるんだろうなぁって思います。

ややこしいって思うのは、私の中の母親と実際の母親が似ているという事。
実際は自分の中の母親に苦しめられているのに、実際の母親に苦しめられている感覚になってしまう。もとにあるのは実際の母親から受け取った価値観がもとになっていることが原因の一つだからではないかと思う。

最初にその存在に気が付いたのは、結婚してすぐかな。今までは自分で決断する機会がとても少なかったけど、主婦になり小さな決断を日々しなくてはいけなくなった。その時に母ならどうするだろう?と想像することから始まった。間違いのないように始めたことに苦しめられる日が来るとは思わずに
始めてしまった。

何が問題か?って今ならわかるけど。決断を自分でしていないって事。
自分の基準がないという事だね。もっというなら決断をする練習をしてこなかった。いつも適当に楽なほうを選んできた。ううん、選ぶというよりもなんとなく流れてきた。しかも流れようと決めて流れずに、何んとなくこっちを選ぶ方が親に心配をかけることがなさそう。怒られなさそう・・・という選び方。あとはみんなとだいたい同じだから、大きく間違うことはないだろう…という選び方。自分の人生なのに、自分主体で考えて選んでこなかった。
だから結婚して家族から離れて、1人で舵を握る事になったその時に途方に暮れてしまったんだと、今振り返ると分析できる。

大多数が進む道に行きたかった。一人だけ違う道を歩むのも怖かった。一人だけ違う道・・・で連想したのも落伍者的なイメージ。普通の道を歩めなかった失敗の人生・・・みたいなイメージでしたね。
とにかく普通・・・できたら普通よりも少し上の人生を歩みたかった(笑)

ジャッジする内なる母

小さなころに怒られて投げかけられた言葉や体罰を心の奥底にしまっていたらしく、子育てをしていく中でなぜか記憶は戻ってきてしまったんだよね。
もう苦しくて苦しくて。全く納得できていなかったけど、どう処理していいかわからなかったことをきっと奥のほうにしまい込んでいた。それは母からだけではなく、父や同居の祖母、クラスメイトの心ない言葉と共にしまい込んでいて、それが一気によみがえってきてしまい、混乱した私はそれ等に母というインデックスを貼ったんだと思う。
内なる母は私を常に見張ってジャッジする。その時間が増えれば増えるほど、私は無表情になり、感じるチカラを封印しようとしていった。感じるチカラがあると感じすぎてしまって気が狂いそうだったから。
ジャッジって言うとどうなのかなぁ?
正当なジャッジという感じ方をします?
心の中でジャッジが始まるときは、ネガティブジャッジでしたね。
とにかく私が悪い。要領が悪い。他の人ならうまくできることを何故お前はできない?鈍い、とろい、馬鹿?また同じ失敗を繰り返すの?そんな事で怒ってるの?泣いてるの?落ち込んでるの?サボってるの?なぜできないの?
どんどん追い込んでくる。
それが悲しい事に母の顔で母の声で追いかけてくる。

母に認められたかった

私は長女で、小さなころから母の愚痴を聞く機会が最も多かった。
祖母との同居家族でしたね。母にとっては姑との同居って事になりますね。
そういう家庭の主婦の愚痴というと、まあ祖母と父への不満ですよね。まぁ
長年聞きました。そして愚痴を言う時って被害者目線ですよね。だから祖母と父は加害者、悪者なわけです。私は子どもながらに加害者側にはいってはいけない!と決意するわけです。そして被害者の母を守らなければ!とも決意するんですよね・・・。そして悪者を懲らしめて母を幸せにしたいわけです。父と祖母を懲らしめて、不幸な毎日を送っているであろう母の愚痴を止めてあげたい!って心の底から思っていたんです。
はい!ここで私は勝手に母を不幸な存在であると認定してしまいました。そしてまたしても勝手に愚痴を言っている人は不幸な人なんだ・・・という認識をしてしまう訳です。
母に認めてもらうために私はどうするべきか?まず幸せにならなければなりません(笑)しかも母と同じ状況にも関わらず笑顔で愚痴も言うことなく、バリバリうまい事こなしていかなくてはいけなくなってしまいました。勝手にハードルを上げてしまいました(笑)少なくとも母の前で弱音を吐けなくなってしまいました。常にいい顔をしていないといけない。素の自分でいられない設定をしてしまったんです。だから苦しい。母の愚痴を聞きつつも、その愚痴を止めて幸せを感じてもらいたいという欲求。止まらない愚痴(笑)
だって母は不幸だから愚痴を言ってるんじゃなかったから!(笑)ただの話のネタだったんじゃないかなぁ?今も様々な愚痴を言ってるけど、果たして母は愚痴と認識していないかもしれない。聞いてる私が愚痴を聞かされてると思っているけど、母はたまに帰ってきた私に笑いを提供してくれてるのかもしれない(笑)それは母に聞かないとわからないけど。
話はそれたけど、私は母に「すごいねぇ。私なら根をあげちゃうような事をやりとげたんだね。すごいねぇ」みたいな言葉を待っていた。
そして母は母で「お母さん苦労したんだねぇ。すごいねぇ。頑張ったんだねぇ」って言ってほしかったらしい。お互いに認めてもらいたがっていたんだねぇ、これには驚いた!これを教えてくれたのは私の娘なんだけど・・・。

頭の中で響く声

この声、ほんまに厄介でした。
とにかくひどい!
プライドをずたずたにしてくる。
褒められることなんてない。
ひたすらに追い込んでくるし、めっちゃ焦らす。
人間焦っても何もええことないのは
百も承知してる。わかってるねんけど、めちゃくちゃ焦らされる。
焦ると不思議なことに目はあいてるのに、肝心なことを見落とす。見えてない状態になるし、肝心な話が耳に入ってこなくなる。当たり前に失敗しまくります。そしてさらに焦る!という悪循環。
そしてさらに頭の中の声は大きな声で騒ぎ出す。
「ほんま役立たずやね」
「ようそんだけおんなじ失敗するわ。めっちゃ迷惑。」
「迷惑かけてるのわからへんの?」
「あつかましい」
「空気よまれへんの?あほなん?」
人には言えないような言葉でも、脳内再生だとお構いなしに鳴り響く。
どんな言葉でも、くり返し繰り返し聞かされると、「おっしゃる通りです」ってなってくる。自己洗脳状態ですわ。ほんまに厄介。
しかもこの声は意識があるときはほぼ休みなく鳴り響いてる。
この声が止まるときって、何かに没頭してるとき。集中してるとき。
思考が止まる瞬間。
頭のなかの声がうるさいって事に気付いたのは、30代に入ったころだったと思う。今悲しく思うのは、頭の中の声は母の声だった・・・。
私の頭の声は母の声だった。
他の人は違うかもしれないけど・・・。
それだけ
私にとっての母の存在って大きかったんだと思う。
自覚しているよりもずっとずっと切実に母から認められたかったんだね。
これは私にとっても母にとっても悲しくつ辛い事だったねぇ。
母は身に覚えのないことで娘に責められ、私は自分の中のもう一人の母に追い詰められる。本当は母ではなくて私自身なんだけど。母に叱られる自分が嫌だったんだろうね。母がこの世で1番正しいって思っていた時期があったから、母に怒られる自分は恐ろしく間違っていることになってしまうから。
子どもの思考回路って単純。正義の味方か?悪役か?くらいの価値観で生きてた気がするわ・・・・

そういう幼い私にとって母からの評価が得られるという事は、正義の味方になるってことで、その逆は悪役なんだよね。最後はぶった切られて消滅💦
怖いっ😢
大人になって振り返ると、視点が少し離れて主観ではないけど、子どもの頃って思い切り主観で感じてるからそれはそれは恐ろしい事だったと思う(笑)

脳内の声は自分自身をジャッジして追い詰める

脳内で繰り返される声はどこからきてるのよ?
それは自分の内側から湧いてくるものなんだよなぁ。
自身の価値観の一部なのかもって思っています。
いつも正しいか?正しくないか?間違っているか?いないか?を常に考えて判断してきてたんだろうね、わたし。
世の中そんな2極で出来てる訳はないのに、〇か×かが判断基準。
×とジャッジしたら、脳内で追い詰めていくんだよ。間違ってるよ。正解がわかんないなんてかわいそうに。本当はわかってたんでしょ?あえて間違いを選んだの?なんのメリットがあったのよ?などなど・・・。
本当に自分って恐ろしい。
いちばん傷つく言葉も表現も知り尽くしてるから、痛いところを的確に攻撃してくるんだよね。言い逃れもできない。なんせ心の動きまですべてお見通しだから(ノд-。)クスン
だけどこれは自分にだけじゃない。外に向かってもしてる。あれは間違ってる。間違ってるのって恥ずかしくないの?って心の中では激しくジャッジしてる。だけど面と向かっては言えないし、言わない。心の中と外で違うことしてるから、さらに自分に対してジャッジが入る💦💦とにかく自分を責めまくる。こんなことしてるとおかしくなってしまう。常に自分で自分を絶え間なく責め立てる。間違ってることを指摘しまくる。生きるのがしんどいと感じるのは当たり前だよ。とにかく正しくない、間違ってる。否定しかしていないんだから・・・。

否定していたのは他者ではなくて自分

なかなか気付けなかった。
ずっと人に認めてもらえなかったことが原因だと思っていた。まさか自分でやらかしていたとは夢にも思っていなかった!
誰に否定されるよりもキツイんじゃないかな?
他者からの直接的な批判だと、帰宅したらなくなる。わざわざ自分でエゴサーチしたりしない限りは一旦休める。だけど自分自身が相手だと恐ろしい事に意識がある間中ずっと!しかも言葉を選びもしないから、容赦ない。
自己肯定感って自分で自分にオッケーを出すこと。人からもらうモノじゃないんだよね。ここを長い間誤解してた。私が鏡に映った私にそのまんまでいいよって声をかける事。自分以外の誰かになる努力をしなくていいって事。
なんで自分じゃだめだって思うようになってしまったんだろうねぇ。不思議な気がします。子どもの頃はそれなりに肯定感があった気がするんだよね。友だちとちょっとくらい違ってていいと思っていたはずなのに、一体いつの間に肯定できなくなっていったんだろう?

役割を外して見なおす

私の母に対する思いはとても根深くて、とても苦しかった。愛されたいという欲求と思うように愛されなかったという認識の違いで苦しんできたんだと思う。愛される価値がなかったのかも?というすり替えも起きてたと思う。
母は母なりに愛してくれていたんだけど、私が欲しかった愛のカタチが違ったんだろうなぁって思う。
自分が母になって相当年数経ってからようやくわかった気がする。
それとどこかで読んだ「役割」を外して見なおしてみる・・・みたいな文章に出会ったことも大きい。母親という役割を外して人として見直してみる。母親っていう役割に求めているモノって大きいなぁって思った。無償の愛情を注いでくれる聖母みたいなイメージ(笑)そんな人いるわけないのにねぇ。そんなイメージを押し付けられてもまぁ、無理だなぁって冷静に思えた。
母親というイメージからきっともらえるであろうと妄想した愛情を・・・多分そんなものはこの世にほぼ存在しないような愛情を望んでいたんだなぁ。
それは失礼!申し訳ない。
私が幼稚園の頃って母はまだ20代半ば・・・。田舎でママ友らしい人もいなかったみたいだし、今と違って情報量少ないしね。求められてる嫁像みたいなのにも対応しないといけなかったんだと思う。母は母でちょっとしたパニック状態の中の育児だったんだろうなぁ・・・って同情する。
ま、それだけではなかなか思い切れなかったんだけどね。
それでも母の幸せは母が探求していくべきもので、私にはどうすることできない分野であることを理解することができたし、誰が悪かったわけではなくて、みんなそれぞれに必死に生き抜いてきたんだよねぇ。
自分の欲求と実際に与えられるモノって不一致なんだけど、それでも何とか折り合いをつけながらここまで来た…って事なんだなぁって。自分の頑張りも母の頑張りもようやく受け入れられた気がした。そして母の愚痴を必死で聞く必要もなく、しかもこれを止める必要性もない事が分かっただけでほっとしました。私の人生における大きな課題の1つになってしまっていたから。母を不幸だと設定したところから間違っていたんだけど(笑)
愚痴の多い人=不幸ではないって事が分かっただけでも、私にとっては大きな収穫でしたねぇ。親が不幸って辛すぎるもん。しかも同居家族が原因で・・・なんて子どもの認識としてはちょっとしんどすぎる・・・。
夫と私の関係と同じように父と母の関係もお互いにどうにかしていくものであってねぇ。誰かにどうにかしてもらうようなものではないから。
勝手に背負っていた荷物を降ろして、今までよりかなり気楽な気分で付き合っていけばいいんだなぁって思えてからは、帰省のハードルが下がったし自宅に帰ってからの疲労感も和らぎました。
母の愚痴は相変わらずだけど適当に聞き流しています(笑)母もアドバイスが欲しいわけでもなく、たまに会う娘で息抜きをしたいだけ(息を吐きだしたいだけ)なんだと思うからね。
多分お互いにずいぶん楽になったんじゃないかなぁ?

実際の母との緊張状態から解放されることで・・・

頭の中の母の声がかなり減りましたね。
たまに失敗した時は鳴り響きそうになりますが、すぐに止めることが出来るようになりました。自分で自分を追い込むことがかなり減りましたね。心の中の自分責めが少なくなったことで、人に責められてる気がしていたことも激減。責められてると思い込み、申し訳ない気分満載で周りを見ていたから、そう感じざるを得なかった事を実感しました。
自分責めのフィルターを外して見てみたら、違う世界が広がっていました。自分が思っているよりもずっとゆとりのある世界でした。
いつも焦って焦って、自分を追い立てまくっていたから、私が見る外の世界はスピード感が命だったし、遅い事は罪!っていう勢いで進んでいたんだよねぇ。焦らなくてもいい。ゆっくり自分の心地いいペースで・・・という世界観の中で生活をしていると、怒りのレベルも変化してきた気がする。早くしたいのに、手伝ってくれないから思ったように早くできなくて焦りまくっていた。イライラしてたね。だけど早く早く!なんて誰も思っていないのかも?って思えると焦らない。料理が出来上がるスピード感よりも、母親がイライラしていないほうが重要度高いかもな(笑)って思ってます。
自分の脳内の母と日々闘っていた時に気付いたんだけどね。
脳内の自分が子どものまま止まっちゃってたんだよね。本当はもういいおばさんなのに。子どもの頃の私はどうしてもね。言い負かされちゃうんだよね。でもその頃の母よりさ、今の私は年齢が上だからもう怯えるだけの存在ではなくなってるんだよね。ここに気付いたことも大きい。いちいち被害者になってしまってたの。だけど幼い私を守れる今の年齢の私も存在してる。
脳内だから時系列は好き放題に変えられる。幼い私を後ろに隠して守れるんだよ。自分でさ。それに気付けたときに脳内の母との決別ができた気がしています。いつも弱いだけの自分じゃないんだ!って気付けたときに今まで眠っていたエネルギーが湧き上がってきた気がした。それと同時に生きてていいんだなぁ・・・って思えたんだよね。不思議な感覚だった。
自分で自分を嫌ってて、その嫌いな部分をたたきつぶしていかないといけないと思っていた。負の部分を0にしないといけないんだっていう思い込みがあった。そういう部分を持っていていいんだなぁってやっと思えた瞬間だったのかもしれない。自分に許可が下りた(笑)やっとね。
その時に初めて母とのバトルが終了したんだと思う。
それでようやくね、母に対する変な責任感から抜け出せた。母の人生を母に返す…という感覚かなぁ?母は母で好きに生きたらいい。すきなだけ愚痴を言えばいいんだなぁ。私は聞きたくないけど(笑)やっとはっきり認められた。私は母の愚痴や家族の悪口を聞きたくない!っていうただそれだけ。そう思ったらダメだって思ってた。イヤって思うこと自体を禁じていた。
それで苦しかったんだと思う。母の愚痴がなくなることはないと思うんだけど、聞く義務もないので(笑)聞けるときは聞くけど、しんどくなったら聞かないっていう選択肢も出てきたのでイライラしなくなりました。そして本当に聞く機会が激減した。そして今まで一度も言われた事もない「いつも愚痴ばかりでごめんね」という言葉をいただけた(笑)

私にとって母は世界の中心だった

母が中心だったんだよね。善悪も母が基準だった。
価値観のすべてが母を起因としてた気がします。
私にとって神と同じくらいのレベルで信じきっていた存在だった。
それが成長とともに揺らぎ始めるんだよね。色んな価値観に出会うことで
母の価値観が絶対ではない・・・という当たり前の真実にぶち当たるわけです。そして混乱。私が信じてきた世界って何だったんだろう?
これが反抗期におこる心の葛藤なのかしら?って今になって思う。
親の価値観からの脱却。
自分の価値観を再構築する段階に移ったって事。これがまた苦しかったんだよねぇ。混乱してるし混沌状態でした。
自分の中の基準が変わるときって、立っている場所の地盤が崩れるような感覚で不安定すぎて怖かった。それで母のせいにしてきてた気がする。こんな不安な気分になるのは間違った価値感を植え付けた母のせいだ!みたいな感じ。間違ってはいないんだけどねぇ。母にとっては必要な価値観だし正しい価値観なんだから。
他者から借りた価値観を返却して自分のオリジナルの価値観を構築するのって時間がかかるし、思った以上に大変だったけど振り返ると必要な時間だし、それが私個人が確立していく過程だったんだって思える。それがなかったら今も母の価値観で生きていて、たぶん母の生き方をトレースしてたと思う。それって多分しんどい生き方じゃないかなぁって思う。自分の感覚を信じることなく、人の物差しで生きていくことだから。自己否定しかないもんなぁ。母の価値観からの脱却もしんどかったけど、してしまえば今度は自分の感覚を信じて前に進むことが出来るから。ここから先は自己否定しなくてもいいってことだからね。本当に良かったって思う。

母から娘に受け継がれていく価値観という流れ

これ怖いなぁって思っています。
世間がどんなにジェンダーレスになっても、母の中にある男尊女卑的な思想が受け継がれていく可能性が0ではないから。男尊女卑思想も怖いけど、女が女を卑下するようにしつけられていくのがこわい。それは教えというよりも母の動きを見て沁みついて行くような、そうして当たり前という感覚が怖いなぁって思うのね。教育とかしつけって言葉を介して受け継がれていく感じがするけど、周りの空気感、態度、言動を通じて受け継がれていくモノの方が怖い気がするんだよね。消極的な伝達っていうのかなぁ。うまく言えないけど。私は農家が多い田舎の出身で、母は常日頃長男だけを大事にする風習を毛嫌いするかのような事を言葉では言っていたけど、態度としては長男である弟を優先・・・大事にしてきてた気はしてる。否定されるかもしれないけどね。それは母はそんなつもりがなかったかもしれないし、むしろそう言う田舎の風習を本当に嫌っていたかもしれない。そういうのとは別に伝わってくるものがあるんだよね。それが根深くて言語化されずに伝わっていくから余計に根深い気がする。
なんとなくなんだけど、男性よりも前に出てはいけない…的な無言の圧力。
娘時代には意識していない事が、結婚して妻となって初めてその圧力に気付く。それも最初は好ましい圧力だったりするんだよね。夫を支える控えめな
だけど堅実な妻・・・みたいな感じ(笑)育児が入ってくると頭に浮かぶ四文字熟語!良妻賢母!!
いまだから声を大にして言いたいけどさ。
そんなのいないから!
良妻賢母が実在するなら
良夫堅父もいてよくない?って思う。
良妻賢母って絶対男性が作ったでしょ?って今思ってる。
家庭にとって都合の良い女だよね?違う?
私のひねくれた思考なのかなぁ?
女にだって欲望があるわけで、夫にも子どもにもいい顔してたら
結局自分にはいい顔できない。欲求不満で爆発しちゃいそうな気がする。
それにさ、昔は姑、舅の世話も含まれてたんでしょ?
同居家族みんなにいい顔してたら、おかしくなっちゃう。それをうまい事して自分にも優しくできてた人が良妻賢母だとしたら、なれる気が一切しないわ(笑)
娘世代には声を大にして言いたい!
間違っても良妻賢母だけは目指したらダメ!って。
そんなものを目指すよりは、できるだけ自分を甘やかして!
余裕をもってできる事だけをする。
余裕を失うようなことまでする必要はないよ。
しんどい時は外食やお惣菜を利用すればいいし
外注できるところはどんどんしていいと思う。
母が手ずからするから愛情深いってわけでもないって思うんだよね。
不機嫌になんでもこなすより、上機嫌でできる事だけするほうが
自分にとっても家族にとってもいい影響力を与えることが出来ると思う。
これからの時代はどんどん価値観が変化していって、どんな風になっていくんだろうなぁ?って思う。
愛情の示し方もどんどん変化していっていい。
いつまでも母乳、手作りにこだわらなくてもいい。
もちろんできるならしていい。
できない事にこだわる必要はない。
母乳がむずかしくても、子は育っていく。
離乳食も市販のを食べても育つ。
手間をかけること=愛情
手間を省く事=愛情不足ではないから
女性にも得意、不得意があるんだよ。
家事が好きな人もいれば、嫌いな人もいる。
男性も一緒だよね。
働くことが得意な人もいれば
家事をしてるほうが落ち着く人だっていると思う。
今こだわりすぎてる思う。
人形を渡すから社会的に女性になるわけではなくて
逆かもしれないじゃん。
女の子だから人形を好きなのかもしれない。
ミニカーや戦隊ものを見せるから社会的に男性になるわけではなくて
男の子だから単に動くものが好きって可能性も大いにある気がする。
こだわりすぎない。
好きなものを好きって言えたらいいよね。
古い価値観が意味をなさなくなっても
新しい価値観がまた生まれてくる。
それをくり返して「今」がある。
古いって思われてるモノも、もっともっと昔は革新的だったって事もある。
新しいって思われてるモノが昔から存在してたっていう発見もあるかもしれない。
今の若者は・・・っていうフレーズは古代からあるっていう話は有名ではない?
それを聞いたときに人の悩みって意外と変化していない気がしたんだよね。
結局は人間関係!
親子関係に始まり、交友関係、仕事関係、そして新たな親子関係。
自分ではどうしようもない事が悩みの種って事だよね。
どう頑張っても他者を思い通りに動かすことは無理だから(笑)
だからこそどの時代の人も頭を悩ませてきたんじゃないだろうか?
私にとっては、母が難問だったなぁ。
そして今度は私が子どもたちにとっての難問になっていくのかもしれない。
それでも母は子どもが幸せで笑顔で過ごしてくれるのを願ってやまない。
自分の子どもはもちろん、どの世代の子どもたちも笑顔で幸せであることを願ってやまない。
耳にする痛ましい事象が少しでも減る事を願ってやまない。
母から娘・・・できたら息子に伝わる言語化されていないものが
ただひたすら自分を大切にすることになっていくことを願う。
それにはまず親世代が自分を犠牲にしないって事が大切。
上の世代に行くほど自己犠牲を当たり前にしている人がいそうなイメージがあるので・・・。勝手な思い込みの可能性も大だけど・・・。そうであることの方が嬉しいけどね。


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