
母と祖母と私⑦
母は私の自慢だった
母は美人でセンスが良くて
わたしにとって自慢の母だった。
幼い私の
憧れでもあって
私は母のような人生を送りたいと願っていた。
途中までは・・・
母の価値観をシャワーの様に浴びて育った私は
正しい生き方をしたいと願ったし
母の人生こそが正しくて幸せなものだと
信じて疑ったことがなかった。
高校生の時に
先生が言った言葉が忘れられない。
「今、母親のすべてを信じてその価値観の中で生きているのって損だよ。疑うことなく生きてるって信じられない・・・」
多分母と同年代のかっこいい女性教師の言葉だった。
その時は意味が分からなかったけど
きっと後でわかる言葉なんだろうなぁって思ってた。
その頃の私は能天気で深く物事を考えていなかった。
毎日友達に会ってけらけら笑って
その合間に授業を受けている。そんな感じだった。
成績が良いわけでもないけど、問題視されるほどの悪さでもなく
時代も、バブル期に突入する数年前(多分)で景気も良かった。
学校から帰宅したら家業を手伝っているものの
自宅での作業がほとんどだった母が家にいる。
ひとしきりその日あった出来事をしゃべりまくり、
夕食の頃には台所で配膳の手伝いをする。
そんな毎日だった。夕食後はたいてい私と母と祖母がお茶を飲みながら
けらけら笑いながらしゃべっていた。
けんかもするけど、案外仲の良い家族だった。
変化は多分
私が大人になるにつれて・・・
彼女たちのある意味ライバルになっていったのかもしれない。
子どもから女性へ。っていう成長。
私は女子校育ちで多分色々幼かったんだと思う。
高校卒業後からだんだん祖母の言動が怪しくなっていく。
頼られるようになった。それは嬉しい。
だけどなんだろう?うまく言えないけど
居場所争い?
わたしもそれくらいできる!
みたいな張り合ってくる感じがちょいちょい(笑)
子どもみたいで面白かったりもした。
そう、子どもみたいだった。
恥じない。そこはすごいって思った。知らない事に貪欲。
笑われてもとりあえずやってみる。挑戦する。教えてって言える。
すごいなぁって思った。
母の価値観が正しいだけではないと気付いた出来事は
働き出して最初の年の母の日。
友人と百貨店を歩き回って選んだ茶碗蒸しの器のセット。
買って帰って渡したら
「こんなんいらんのに。そんな事より弟に小遣いでもやってくれたらいいのに」って言われたこと。
笑顔で喜んでくれると思ったのに。
びっくりしすぎて、後ろからトンカチで殴られたみたいだった。
その後の私の行動も情熱的というか感情むき出しで
泣きながら玄関に行って、粉々に割り散らかして
自室に戻った。
今でも思い出すと泣けてくる。
母の日のプレゼントを前にこんな事を言える母親を
私は想像したことすらなかった。
この出来事はどうしても、どんなに一生懸命曲解を試みても
理解できない。
どんな事情があったら娘が2回目の給料で買ってきたプレゼントを
「こんなんいらんかったのに」と言えるのか本当に理解できない。
息子への小遣いは親でやってくれ(笑)
娘に弟の小遣いを要求するなよ(笑)
この出来事から私の世界はバランスを崩してしまったんだよね。
正しいと信じていた地盤がもろくも崩れ去ってしまったから。
地盤から築いていく。
途方もなく感じたんだよねぇ。
ピサの斜塔の気持ちになってしまった。
笑い事じゃなく本当に。
まっすぐ立っているつもりだったのに。
げ!基礎がななめってる?
基礎が崩れる!
キャーーーーーっ!
ひどい事もあったけど
ずっと不幸な気分で過ごしてきたわけではなく
むしろ恵まれていると思って生きてきてたんだよね。
そして衝撃の一言で地盤が崩れた。
そこからなんていうか
すごく不安定になってしまった。
正しさを軸に生きてきた私にとって
正しさとは何?みたいな疑問が生まれてしまうと
何を頼りに…軸にしたらいいのか?
わけわかんなくなってしまったんだよね。
そしてこの家にいるとヤバイって思うようにもなった。
離れないとっ!本能的なカンだね。
書いていくことで
気付かされたね。
結婚してからの不安定さは
母の日事件が原因。
基礎が出来上がる前に
混乱したまま結婚出産を迎えたことで
大いなる混乱と混沌世界にはまり込んでしまったんだねぇ私・・・。