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忘れられない患者さん

だいぶ昔の話。
何の病気だったかは覚えていないが、保護者の方が点滴スタンドを押して導尿の管を付けた状態で来た患者さんがいた。
余命宣告も確か 3ヶ月もないような患者さんだったと思う。

私の所では「3回の結果で判断してください」というのを開業当初から掲げているので、3回治療しても何の変化もなかったので、「私の治療ではこのまま続けても無理だと思います」と告げた。それで諦めたようでその後の来院はなかった。

しばらくして、保護者の方が来て、亡くなったことを知らせてくれた。
私に無理だと言われたことがとても残念だったと言われた。

私にとっては、3回で変わらないものをいつまでも同じような治療を試みる方が、患者さんの治る機会を奪うと考えていたので、正しい考え方だと思っていた。

確かに、私の領域ではないから病院で見てもらいなさいと言って助かった患者さんも何人もいる。


脊髄ガンの患者さんだったり、

硬膜下血腫の患者さんだったり、

大動脈解離の患者さんだったり。


もしもそのまま治療を続けていたら命にかかわってしまう。

みんな私が病院に行くことを勧めたことに対して感謝してくれた。



だけど、あの時の患者さんは何かが違う。よくはわからないが、私の心が釈然としない。


結局自分擁護のために判断をしたのか、相手のために必要だからその判断をしたのかという、そこが問題だったのだと思う。


あの患者さんは、私の所に来る前から無理なことはわかっていたはず。少なくとも余命宣告をされていたのだから。それでも私を頼ってきた。一縷の望みを捨てきれなくて。


治るか治らないかではなく、私はその心と向き合うべきだったのだろう。それをその時に痛いほど教えられた。


保護者の方は残念だったとしか言わなかったが、きっと私にギリギリまで希望を持たせてほしかったのだろうと思う。



そのことがあってから、患者さんに必要な検査は勧めるが、決して私の方から希望を捨てるようなことはしないと誓った。



その後、重度のてんかん患者が二人ほど来たことがある。意思の疎通などまるでできないような状態。
どちらもお母さんが治るということをあきらめきれないようだった。


なので「私もできるだけのことはします。ただ、好転する可能性は非常に低いと思います。」とは最初の段階で伝えておいた。
実際に治療をしていく中で、患者さんのてんかんの症状は波があるので、少し良い状態の時に治療が効いてきたと思いたいようだった。でも私にはとてもそうは思えなかった。

それでも私にできる精一杯はやってきた。決して同じ轍は踏まない。そう誓って。

そして、お母さんの気持ちを理解しようとした。すると、ご主人も無理だとは言いながらも、「あなたが納得いくまでやってごらん」と言って治療を認めてくれていることなどいろいろと話してくれる。

結局は治るかどうかではなく、お母さんの気持ちの整理なのだということが痛いほど伝わってくる。


そして、こちらができる限りのことをやっているということがお母さんに伝わって初めて、お母さんが自分の心と向き合う気持ちになるのだということがわかった。


私のできることには限りがある。でも、その私のできる限りを精一杯やることで、伝わるものもあるんだなぁとつくづく思う。


私の所に来るまでにもいろんなところを試してみたと言っていた。それでもあきらめきれずに私の所に来てくれた。

私が精いっぱいやらなければ、きっとお母さんとしてはまだあきらめきれずに、何かもっといい方法があるのではないかと思ってしまうのだろう。


私が私の精一杯をやって初めて、お母さんが自分の心と向き合う気になるのだろう。


専門学校の自己紹介で「誰にも治せないような人たちを治したい。たとえ私に治すことができなかったとしても、希望を与えてあげられるような、そんな治療家になりたい」と言ったのだが、希望は与えてあげられなかったのかもしれない。


それでもあれが私にできる精いっぱいだったのだと今でも思える。


治してあげられない自分の能力を残念だとは思う。
それでも自分の行動に後悔はない。


それで良いのかと言われれば、決して良くはない。
良くはないが、それよりどうしようもない。


そんなことを命をもって私に教えてくれた、その尊い命の重さを私が背負うことで、少しでも誰かの人生を救えたらうれしいと思う。
この仕事は本当に私を成長させてくれる。

「この道より我を生かす道なし この道を歩く」

そんなふうに思える仕事が本当にあったんだなぁとしみじみ思う。


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