殻を破る
「どうして君は殻を破れないの? 」とか「もっと自分の殻を破らなきゃだめだよ!」って、指導される人、多いんじゃないかな。言ってる本人だって「殻」がなんなのが説明できないから、具体的な方法を伝えなかったりする。ほんと、大人ってわけわからんことを言って、威張っているよな。言葉の責任を持たないっていうか、言ったら言いっぱなし。ちゃんと説明してくれって。大人ってほんとにずるいから「それは自分で考えるんだよ」とか言って逃げる。でも、ほんとは、その人は、わかっていないんだ。ただなんとなく言っていることが多い。
私も子供時代から振り返れば、半世紀近く、そういう言葉に悩まされてきたよ。そして、自分で勝手に思い込んで悩んで、自分はだめなんだ、どうしてできないんだって、自分をいじめてきたよ。それで、「殻を破る」ことをものすごく理想化して、殻を破ることは「一発逆転」だと信じてきたよ。その一発逆転によって、闇から光へと出られる。そんなふうに、思って、ずいぶんと時間やお金をつかってきた。ほんとに、「殻を破ったな」という言葉が欲しかったんだ。たくさんの時間とお金を積んで、その言葉が欲しかった。喉から手が出るくらい欲しかった。
しかし。
思いもよらないところから、その言葉をいただくことになった。ほんと、拍子抜けしたというか。それが、昨日だった。わたしの愛する師匠Kから「殻を破ったね」と電車の中でポソっと言われて、思わず「へッ?」となってしまった。これ、アタシがすごく欲しかったやつじゃない。うれしいな。でも、なんか、一発逆転とかじゃなく、昨日今日明日のなかにある、そんなさりげないものだなって。
師匠Kは小説の先生で、春から講座に通っている。初めて書いた短編小説を好評して、そう言ってくれた。短編は仕事の延長みたいな感じで、いつもの仕事と同じように練って書いた。まったくもって、いつもの延長で書いたものだった。事務的というか、仕事みたいな感じというか。肩の力は入っていなかった。これで自分の殻を破るんだ、という自覚もなくて、ただいつもの仕事をするような感じで取り組んでいた。
なんだろう、この感じ。師匠Kから、ギフトとして「殻を破ったね」と言われて、スッとガスが抜けるような感じになって。つまり、アタシ自身の一発逆転発想こそ、思い込みで「幻想」だったんだなぁ、ということに気づいた。師匠Kはいいタイミングで、気づかせてくれる大きな存在なんだ。
それから殻を破ることについてAIに聞いた。いいデータを組み合わせて提言してくれる。AIは、殻は破り続けるものだ、と言っていた。日々、わたしたちは、小さな経験を通して殻を破り続けている。つまり「脱皮」だと説く。
小さな頃から私を苦しめてきた「殻を破る」はね、もうだれでもやっていることなんだよ。だれだって、殻を破りながら生きているんだ。だから、今できないことがあったって、それは「いつかできるようになる」から、自分を否定したりいじめたりしなくていい。「殻を破る」とは、習慣が積み重なって、あるときからスッとできるようになることで、それは「運動」のひとつの通過点なんだ。
だから、一発逆転を狙っていたり、なんでできないんだよ!って自分を責めている人がいたらそれは「脱皮すること」と言い換えて、これまで自分が脱皮してきた軌跡をほめればいい。くだらない大人たち、何もわかっていない指導者の言葉なんて無視すればいい。
いつかできるようになる。継続はほんとに力なんだよ。今できなくたって、必ずいつかできるようになるよ。アタシもいまは、社会的な力はないけれど、いつかきっと社会とつながって、書いた世界で渡って行ける日がくる。まだ会ったことのない世界の人たちと、共鳴し合えると信じている。
いつかきっとできるようになるからね。あせらなくていいからね。
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