風流人 英一蝶
タイトルの絵は急に降り出した雨に慌てて雨宿りする町民を描いたもの。
それぞれの表情に注目したい。御赦免後の作品。
出光美術館で英一蝶の「四季日待図」を見て、そこに描かれた人々の表情豊かさにに興味を持ち、現在サントリー美術館で、「没後300年記念 英一蝶」として過去最大規模の回顧展が催されていることを知る。
そんな折、タイミングよく娘からサントリー美術館行きを誘われる。
一も二もなく「行く、行く」と言って夫も誘うと「うーん、仕事もあるし
やめておく」という。
ところが、孫娘から「私も行くことにしたの。おじいちゃまは、やっぱり行かないの?」とラインが入ると・・・「うーん、じゃあ行くか・・」と
孫の磁力は強い。
前期の展示も見たという娘が、「イヤホンガイドを借りると途中で講談も聞けるわよ」というので、普段はあまり借りない音声ガイドも借りる。
ナビゲーターは神田白山でいかにも江戸粋人の絵の雰囲気を伝えている。
英一蝶は、江戸吉原の太鼓持ち(幇間)としても活躍していた。その折に、綱吉の生母桂昌院の縁者を遊離に誘い、大金で遊女を見受けさせたことで
八丈島に島流しになる(諸説あるようだ)。やがて御赦免となって江戸に戻ってきてから英一蝶を名乗る。それ以前は「多賀朝湖」と名乗っていた。
展示は1章「多賀朝湖時代」2章、島流しで八丈島にいた「島一蝶時代」
3章 赦免されて江戸に戻った「英一蝶時代」と分けられて展示されている。
1章 父親が藩主と共に江戸に下ったのに伴い上京した一蝶は、狩野派の絵師に学び、絵画技術と古典に関わる幅広い教養を身につけたという。
高い技術を身につけた一蝶は次第に江戸の風俗、人物描写などに興味を持ち
独特の感性で描かれる風俗画でたちまち江戸の人気絵師へと上り詰める。
20代、30代の頃には俳諧にも興味を持ち芭蕉に学び、宝井其角や
服部嵐雪などとも近しく交流することで、俳諧が持つ機知や滑稽味に大きな影響を受けた。芭蕉や其角が選んだ句集などにも「暁雲」という画号で
選ばれており、それらの句集の展示も結構の数あった。
おふくさん、鹿(ろく)、樹木・・・ねっ! 「福禄寿」
ちなみに持っているうちわには、鎌、輪、ぬ・・・でかまわぬ!
画帳に収められたものの数多くの展示も小品ながらそれぞれに絵に含むところがあり、一蝶の教養の深さも窺える。
仁王門は足元しか描かずに、その仁王門に落書きをしている人物と、お参りも忘れてその落書きを夢中になって見ている人物描写に焦点を当てている。
他にも落書きの様子を書いた絵はいくつかあり、当時は落書きも仕方なしと目溢しだったのかしら・・とそちらに思いが傾いてしまう。
中には門の柱どころか格子の中に手を入れて仁王様の足にいたずら書きをしている図もあった。
徒然草に出てくる話を元に描いたもの。ウケを狙って、器(鼎)をかぶって踊ったところ、鉢が抜けなくなり医者に行くが、手当の仕様の無い医者は脈を取ってみたり・・薬を作る坊主は薬をどうやって飲ませるのだろうと懐疑的だったりと・・結果、仕方なく仁和寺に戻った法師は死ぬよりマシと力に任せて鉢を抜いたところ、耳や鼻がもげてしまったという話らしい。
徒然草に医者での様子まで書かれているのかしら?と気になり調べたところ、本当の徒然草五三条では、医者に行ったが、「かかることは文にも見えず伝へたる教えもなし」(このようなことは医学書でも見たことがない。伝え聞いた治療法もない)と言われ、寺に帰ったと書かれている。
つまり、医者での様子は一蝶が想像して彼独特の風刺で描いたものだ。
まさしく「漫画」!! それもとてつもない画力を持ち合わせた作家による漫画だ。しかも徒然草を読んで知っている教養人だ。
第2章は八丈島に流されたのち、江戸から画材や依頼を受けて描かれたものも多い。これらは江戸の知人からの発注によるもので、遊興に関わる華やかな作品が多い。また、島一蝶の作品には地元のために描いた作品もあり、
こちらは神仏画や吉祥画など堅実な作品がある。
ここでも客と芸妓の悲喜交々が多岐にわたって描写され、江戸から送られてきた高価な画材を使って華やかに描かれている。
第3章は恩赦によって奇跡的に江戸に戻った一蝶は、画名を「英一蝶」と改めた。中国の思想家荘子の「胡蝶の夢」からとり、八丈島での生活から恩赦を受けたことに感慨を持って取り入れた名前ということだ。
「いまはこのごとき戯画(風俗画)はこととせず」と真面目な仏画、花鳥画、風景画、古典的な物語画、故事人物画を多く手がけるようになるが、
本来の風俗画への要望も多く、田園風俗画なども手がける。
そこには生来の洒脱な気性も健在だ。
一蝶の作品としてはとても大きな作品で、裏面には唐獅子が描かれている。
一蝶の作品には淡彩のものが多いが、これは中世以降の伝統的な画題で、
その伝統を守った形で金地にしっかりと描かれている。しかし、表情は一蝶風にアレンジされているようだ。
裏面の唐獅子は、墨絵風のあっさりと、一気呵成に描いたような絵だった。
田植えから耕作販売までを右隻から左隻に四季を追いながら描かれ、士農工商の作業姿も生き生きと描かれ、中には作業に疲れて道端に寝てしまっている人もいる。一部にはこれは二代一蝶、三代一蝶の作品だとの説もあるが、ここでは一蝶本人の作品としたようだ。
阿弥陀様を中心に左右に菩薩さま、上部にはさらに仏様が飛来する様子を
描いて極楽を現している。とても優しく美しい絵で、色も落ち着いた色合いで好ましい。
最後に一蝶の洒落っ気が発揮された作品。王子喬というのは中国の仙人で白い鶴に跨り雲中を飛んだという伝説が残る。その王子喬が蜘蛛の巣に引っかかり、慌てふためく様子を描いている。超人的な力を持つはずの仙人が、思わぬ事態に慌てふためき、困り果てている様子を表している。
親しく付き合った其角や嵐雪は、一蝶が配流中になくなり、再開は叶わなかったが、俳諧とのつながりは続いており、俳書に俳画を乗せており、それらの展示も多くあった。
私の興味の赴くままに作品を掲載したが、もちろん丁寧な仏画や、機知に富んだ作品がたくさんある。ご興味のある方は、このnoteの中でも探して欲しい。
英一蝶という画家のウイットに飛んだ作品に触れて、思わず口元が緩んでしまう時間を過ごせた1日だった。
ちなみに初めは展覧会に行くのを逡巡していた夫は、この展覧会を大変気に入り、図録も手に入れていた。
記載の作品は撮影が許されていた舞楽図屏風以外は、図録からの転用。