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11月の読書
友人から楓の小さな鉢をいただいたので、少し大きな鉢に植え替えて2年、
今年は綺麗に紅葉してくれました。来春にはまた植え替えて少しでも形良い枝ぶりに出来たら良いと考えているのですが・・・。
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先月、池澤夏樹の本を読んでその前段となる本があることを知り、図書館から借り出した。
細かい活字で600ページにも及ぼうという大作だ。
以下に、私の読書記録から転載する。
「光の指で触れよ」を読み、池澤夏樹を知りさらには
「光の指で触れよ」の前段の小説「素晴らしい新世界」があると知った。
池澤夏樹が環境問題に注視し、それを小説にしているのに興味を持ち、
ぜひ前作も読みたいと図書館に申し込んだ。
読み終わっての感想の一番は
「あぁぁ・・・、知識の宝庫の本だった」というものだ。
私は理科系の知識に全く弱い。遥か昔、受験の時にも理系科目は全く選択
していない。我が家は全員文化系・・・数字を引き合いに出されると
「ハイっ!!分かりました」とすぐ引き下がる事にやぶさかでない。
そして、この本の中で語られる、インド仏教についての知識もない。
日本や世界の先進諸国がボランティアと称して後進国にしている支援の
こと、各地のNPOのことも詳しくは分からない。
そんな私がこの本の中に見つける知識は理系の世界や、チベット仏教、後進国と世界との関わりなどへの興味を引き出してくれる。
主人公天野林太郎は電気工学を専攻し、電力会社で風力発電を手がける
エンジニア。そしてその妻アユミはインド哲学を少し勉強して、途中で退学し環境問題に興味を持ち、それに関わっている。
そしてその息子森介が、当時10歳の時から話は始まる。
ネパールでもチベットに近く、山の中で開発の遅れているガミという地区に
畑地を作る計画があり、そこへの灌水のため下の川から水を汲み上げたいというのだ。
その川と畑との落差は100m、そこの水を汲み上げるにはポンプが必要で、そのポンプを動かすには電気がいる。
そこには各国のボランティアによって小規模な火力発電や太陽光発電があるが、送電線はない。
そこで、太陽光発電よりコストの安い風力発電に声がかかったのだ。
この地域はインド洋からチベットへの風の通り道にあたり、さらにヒマラヤの二つの高峰に挟まれて風力を増した風が毎日吹く環境にある。
林太郎は現地にあるボランティア団体「ナムリン開発協力隊」という団体の要請で訪れている。そこは日本人で強力な個性を持ち、現地に骨を埋めようとまで考えている男性がいて現地の人からも熱い信頼を得ている。
風車を立てる予定地はカトマンズーから小型飛行機を2回乗り換えて、
その後は崖っぷちの細い山道を小さな馬に乗ったり、歩いたりしながら
ようやく辿り着くガミという村だ。
倫太郎が今回ここにきた理由は、風車を立てる地形を見たり土地を見たりし、風の観測装置を設置してそのデータを集めることだ。このデータは太陽電池を使って蓄電したパソコンを気象観測装置と繋いで衛星電話と
結んでおく。
そのパソコンが自動的に衛星電話をかけてデータを、日本の林太郎に送る。
・・ということができるらしい・・・私には理解し難いことだが、現代では
大した技術ではないらしい。
林太郎としては現地の人にデータをとってもらう方が自然と思ったが、
現地の人は算数ができないし秤が読めないことを知る。例えば電動カッターを使うにしても機械に頼った作業をしたことがない現地の人は、やたらと力を入れて、歯が欠けたりモーターが焼き切れたりしてしまう。
私たちが何げなくやっている作業が難しいというのだ。
そんな状況に林太郎は風車の保守管理のことを考え、保守要員の教育と
セットで風車を売り込もうと考える。そこには企業の一員としての林太郎と
自分の作った製品への愛と、技術を伝えていくという誠意がある。
日本に帰った林太郎は試作機作りに専念し三浦半島での実験も終えた風車を携えて再び、ネパールに向かう。
ヘリコプターを使って運び込んだ風車は無事に運転した。ただそこにはメンテナンスという問題がある。
そこで3回目のネパールへの訪問の機会を得て、現地へ向かう。
昼間の農作業を終えた若者3人に夕方から勉強会に参加してもらう。それは、ボールペンを使わずに鉛筆を使ってカッターで削るところから、
カッターとナイフとの違いを分かってもらう勉強から始めた。
短い時間の観念も無かった。畑と羊の生活に3分5分を争うという感覚はないのだ。
その教育プログラムを終えて、帰国準備に入ると林太郎の体がどうもおかしい。
荷造りを始めると熱を出すのだ。ここからは少しスピリチュアルな話になるのだが・・・風邪ではなさそうだと原因がわからずにいると、知人が地元の人に相談してみてはどうかと、一人の村人を連れてくる。麟太郎を見たその長老は
「ここの精霊たちがあんたをここから出したくない」と言っているという。
そこから出るには家族が迎えに来なければ出られないという。
結果、妊娠している妻アユミがこの奥地には来られないので、まだ幼い息子の森介が一人でネパールに向かうことになる。
父親と再会し、日本へ戻るまでに又、別の話がこの小説に花を添えるのだが、とにかく無事に日本へ戻り、家族3人で、北海道の風車を見に行く旅で終わる。この話が次の(既に私が読んだ)「光の指に触れよ」に続く。
現地で悩んだりしている林太郎が、妻あゆみと頻繁にメールを交わす。
あゆみからのメールは示唆に富んでおり、林太郎は壁にぶつかってしまうような時助けらる。私たち世代にはない夫婦の形の一つを見せられた。
次作での、夫婦関係に繋がっていく。
まずこの小説の仕立て方が変わっている。登場人物の他に章の冒頭に著者が登場してその章を著すにあたって、著者が考えていること、すべきことが語られる。小説の中に著者が登場して解説する形は初めて読んだ気がする。
そして何より私のよく知らない世界
後進国に対する国連や、NOP、ボランティア団体が行なっている行動に、
本当に後進国の実態を知らずにただお金や物を寄付している場合があることや、有効な支援がいかに難しいかを知った。
チベットの中国支配についても、ダライラマがインドに亡命していることぐらいしか知らなかったが、「亡命政権」として立派に存在感を持っていること。
チベット民族が抱えている焦燥感などを知る。
宗教問題が社会問題を生んでいる今、日本のように緩やかなアミニズム思想が好ましく思えるが、何も知らない私などが軽軽には言えない問題なのだろう。排他的にならないことを願うばかりだ。
チベット仏教が、亡くなった後も再生すると信じ、そのために祈りを続ける仏教であることなどを学んだ。
この著者が、若い頃は父親が作家であることから作家への道を拒んで理系への道を進んだという過去を持つからか、とても「理系っぽい」文章だと思った。
前作を読んでいた時から、個人的には司馬遼太郎を彷彿とさせる話の筋立てだと感じた。一つのことを話すのにその根っこの部分に戻って詳しく説明して、また戻ると言った手法だ。
600ページにも及ぶ大作だがとても読み応えがある本だった。
文部科学大臣賞を得た作品だという。
この本が著されたのは2000年9月だ。
それからもう四半世紀が過ぎている。実際に今世界の僻地で小型の風力発電機が、どれほど普及しているのか興味深いところだ。
以上
・・と、少しネタバレになってしまうかもしれないと危惧しているが、
実際のところは、もっともっと深く著され、私の拙い文章ではとても
及ばないと思うのでお許し願いたい。
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14人の作家による朝、夕、深夜、それぞれに想いを巡らせた
エッセーが乗せられており、軽い感じで読めるので頭の中に風を吹き込んだ面持ちになれた。