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自己実現の欲求?

◆この歳になっても

自分の選択を正解にするのは、その後の自分だと思う。
何を選んでも後悔する、というか何回もしんどい場面を反芻(フラッシュバックなのかも)してしまう癖がある。

アラサーになったのに、未だに受験の夢を見る。センター試験を何回受けるんだ。なんなら中高のテストも受けてるし、大学を卒業した後もう一回別の大学を受けて落ちる設定もある。

いつまで解放してくれないんだろう。

◆自己

人の価値はなんだろうか。

何もなくても自分に自信がある人ってどういう構造をしているんだろう。

自己同一性とは、自分が何者か、だったか。
自己同一性の確立とは、自分が何者かを社会の中で位置付けたときに肯定的に捉えることができること、だったか?
昔の記憶で少し曖昧だが、確かそんなような感じの言葉だった気がする。

私は多分、自己同一性の確立ができていない。自分を社会において肯定的になんてどうやったら捉えられるんだ。
自分の存在価値について懐疑的に生きてきた。なんて無能なのか、社会の役に立たない存在だ、と自分を呪ってきた。

そんな私の中に、「年収が高い=能力が高い=価値がある人間」というわかりやすい単純な図式が存在するのは、至極当然のことだったように思う。

嬉しいことに仕事の結果はついてきて、自己効力感はなんとかなる一方、収入が下がったことで自己肯定感は依然として低いまま。なんなら、給料日ごとに惨めな気持ちになる。私のやっている仕事にはこれだけの価値しかないのか、なんて悲しいのだ。

だが収入のためといって、現在のパフォーマンスを下げて残業する気にはならない。そんなことは自分が許さない。もっと自分が嫌いになるだけだから。

◆マズロー的に

20代にして、2回転職した。一回病んだ。新卒で入った会社の同期とは300万ほど年収に差がある。
辛い。文字にすると、かなり辛いな。涙が出る。

私は自分の力で立ちたい。
自分の力で、ちゃんと自分を認められるレベルでパフォーマンスができる、有事にも対応できるだけの能力を身につけている、その稼ぎで十分に暮らしていける、ような人間になりたい。
これがおそらく私の自己実現の欲求だ。

前回書いた恋人と結婚をし、生計は2人であれば普通に立てられているが、私は常に1人で生きる力を身につけていたい。親も死ぬし、パートナーシップは永遠ではないのだし、選択肢がなくなるのは嫌だ。

収入が上がらない上に、現職はコンプライアンス意識がかなり低く、セクシャルハラスメント・差別的な発言も多い。また転職をしたくなり、実際に複数面接を受けた。が、どこも受からなかった。
分かってはいたが、社数と既往歴は私の前に立ちはだかる。

現職で頑張らざるを得ない。消去法的なキャリアは、悲しいな。

結婚について

もともと専業主婦になりたかった私が、色々経てどうでも良くなったかつ自立心がかなり強くなったくだりは、今までで書いたと思う。
結婚したいとももう思っていなかった。
子供も欲しくない。

ただ、プロポーズを断る理由はなかった。円満ではない私の家の話を聞いても、もし重大な揉め事が起きても、生家ではなく私を取ると言ってくれた。こんな人は稀有だなと思った。

結婚に意味はある?と言われたら、子供がいない場合、特に意味はないでしょう、が私の持論だ。一生一緒にいたい、なんて現実的にあり得ない(と私は思うだけであって、本気で言えることはとても素敵なことだ)ことも思わないので、今一緒にいたいし、断る理由はなかったから、受けた。

基本的に、家族も他人だという意識が強いので、何かがあったら関係性は続かないものだと思っている。

しばらく一緒に暮らし、段々と境界が曖昧になる相手との関係がとてもしんどくなった。この人は自分の味方ではない、と思う出来事があってからは、一緒の空間で心が休まることがなくなり、眠れなくなった。
転職活動が成功し、年収アップが決まっていたら、まだマシだったかもしれないが、どうしても一緒にいることで悪い影響が出始めてしまった。

心理的安全性がない存在と一緒には暮らせない。別れたいと伝えた。が、いまだにそれは平行線だ。
私のように、パートナーシップに対して割り切った感覚の人は少数派だろうことは分かっていたし、夫が「一生一緒に」のタイプなことも知っていたので、簡単に決着がつくとは思っていない。

多くの同級生が現在進行形で歩んでいる、
良い大学を出て良い会社に入り、できたらハイスペックな人と結婚をして、子を産む
という道のりは、私にはイメージし難い。
浪人をして、精神を病んだので、逸れてしまったのも否めないが、そもそもそれは私の実現したいことではない。
良い会社に入り、までにはかなりコンプレックスがあるから、自己実現の欲求に恋愛と家庭が入っていないのだと思う。

もちろん、皆ができることをできない自分、には劣等感もある。
子は本当に欲しいと思えないが、信頼できる人と固い絆で結ばれて、心休まる居場所があることは素晴らしいことだろう、できる人はすごいなと思っている。

結局、自分の健康のために無理やり家を出て今久しぶりに一人暮らしを始めた。仕事では一般的なものよりも早く昇格して、自己効力感は高まった。年収は依然低く、一人暮らしするにはかなり厳しいので、やはり自己肯定感は上げられない。


私は私であることが素晴らしいのだよ、理解できないなんて馬鹿だな。

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