共産主義国は消滅する

共産主義国は消滅する “シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」283/通算714  2024(令和6)年4/6/土】我が街も隣街も二か領用水路沿いは花見の人でいっぱい。みんな桜が大好きだ。♪命短し恋せよ乙女、じゃないけれど、一年で一番の壮大な祭り、「命短し染井吉野、見逃したら悔いが残る」とばかりに、老若男女、皆がニコニコしながら花見を満喫している。小生もお気に入りの「お堀」の桜を「ああ、なんて美しいのだ、時間よ止まれ!」とため息をつきながら堪能した。来年も見れるか?と思いながら・・・

今日から家のメンテネンスは一日置きにした。体力がついていかないのだからしょうがない。「華麗なる加齢」を目指したが、左手にペンキ缶、右手に刷毛を持ってハシゴの上に立つのは足腰が弱ってきた小生には難しくなってきたのだ。フラフラしており、そのうち落下、骨折するのは目に見えている。3年ほど前に左膝の皿を割ってしまったが、今でも具合が悪い。その上に右足までおかしくなったら自分自身のメンテネンスもできやしない。と、いうことで営繕作業は「怪我しないシニアレベル」に下げた。

こうした作業は昔なら一子相続で長男が「オヤジ、危ないから俺がやるよ」と引き継いでくれたのだろうが、敗戦でこの伝統、セイフティネットを米国につぶされてしまったので、結局、老生の営繕作業は一日置きにせざるを得なくなった。そのうち2日置き、3日置きとかになって、やがては歩行も怪しくなり、「あなたはやるべきことはやりました、もういいでしょう」と天に召されるのだろう。人間、バンザイ! それでいいのだ!・・・???

悪い奴ほど長生きする、って本当か? プーチン、習近平・・・逝って欲しい独裁者はコロリとはいかないようで、こちらの方が先に逝きそうだ。JBpress 2024/3/29、福島香織氏の「ネトフリ版『三体』に中国の愛国ネット民が噛みつくワケ…文化大革命の残虐シーンが冒頭5分で描かれた真意とは」から。
<【▼ネットフリックスが中国のベストセラーSF小説『三体』をドラマ化。冒頭で文化大革命のシーンを迫力満点で描いている。▼他方、昨年制作された中国の動画配信サービス「テンセントビデオ」版の『三体』には、同様のシーンは一切ない。▼習近平国家主席の独裁化が進むなか、ネトフリ版『三体』から中国の行方を考察する】

3月21日から配信が始まった中国SF小説の金字塔『三体』の実写版ドラマシリーズ見たさに、ついにネットフリックスに加入してしまった。このネトフリ版『三体』に描かれた、キャンパス一杯にあふれかえる学生たちが声をそろえて「革命無罪」と叫ぶ狂気の「清華大学100日大武闘」の再現ワンシーンは大迫力だ。それを見たらネトフリの加入ボタンを押さずにはいられなかった。
『三体』は昨年、中国版実写化作品の第1部30話が中国の動画配信サービス「テンセントビデオ」で配信された。だが、中国版にはこの「清華大学100日大武闘」のシーンはない。一方、ネトフリ米国版は最初の5分間が、これでもかと文革の残虐シーンに費やされた。文革シーンがこれほど丁寧に描かれた意味は結構大きいのではないか。
『三体』は世界20カ国語以上に翻訳され2900万部以上を売った(2019年調べ)世界的大ベストセラーだ。愛読者にはオバマ元米大統領やメタ(旧フェイスブック)のマーク・ザッカーバーグCEOや、映画監督のジェームズ・キャメロン氏といった著名人もいる。

おそらく少なからぬ世界のSFファン、映像ファンがテンセントの中国版とネトフリの米国版を見比べてやろうと思うことだろう。特に第3次世界大戦前夜と言われるほど、世の中が不穏な時代の今、『三体』の中に盛り込まれた文明論や抑止力論には、世界の未来を考える上でなにがしかのヒントが見つかるかもしれない。ネトフリ版『三体』の中国人たちの反響を中心に、それを考察してみたい。

【濃くなる「文革の遺毒」】この原作小説は、劉慈欣という1963年生まれの中国人SF作家の代表作で、地球往事三部作(三体、黒暗森林、死神永生)とよばれている。タイトルのとおり、地球文明が滅ぶまでのスペース大叙事詩である。中国のSF雑誌・科幻世界で連載が始まったのが2006年5月、1966年5月に始まった文革からちょうど40年目を迎えたタイミングだった。その冒頭シーンは清華大学百日大武闘の激しい批闘(批判闘争)シーンから始まったことは、一部で大いに話題となった。
当時、文革表現は必ずしもタブーではない。時代背景をいえば、胡錦涛政権時代で、首相は温家宝。温家宝の祖父、父親は教師で、文革でひどい迫害をうけた記憶を持ち、文革を憎んでいる。
温家宝が首相引退直前の2012年全人代での最後の記者会見で「文革の遺毒(悪影響、影響を受けて新たな文革を企む人物)が完全に取り除かれていない」という発言で、そのことは広く知られることになった。

一方で2008年ごろから重慶では「唱紅打黒」と呼ばれる文革に似た政治運動が薄熙来・重慶市書記の主導で広がっていた。この薄熙来こそ温家宝が言う「文革の遺毒」とされている(一説には温家宝は習近平を「文革の遺毒」と考えていたという噂もある)。
つまり共産党中央ハイレベルには、文革を党の過ちとして、二度と繰り返すなという温家宝のような政治家と、エリートを暴力で引きずり下ろした文革時代の快感を懐かしむ農民や仇富思想(自分の貧しさの恨みを、金持ちを憎む方向で発散させる思想)の大衆を煽動、コントロールして権力闘争に利用しようとする薄熙来のような政治家が混在していた。
だからこそ共産党指導部にとって、文学などで文革を表現するということはそれなりにセンシティブで、数年単位にそのセンサーシップ(情報や表現の内容検閲)の厳しさは変化した。

【習近平政権では文革の批判的表現はタブー】2006年前後は、現在と比較すればセンサーシップは圧倒的に緩く、文革表現を盛り込んだ名作は少なくない。たとえば、中国で大問題作として話題になりベストセラーとなった余華著『兄弟』(2005年)も真正面から文革の狂気を描いた。
だが、北京夏期五輪が終わるころから、センサーシップは厳しくなっていく。『三体』は2008年に単行本化されたが、この時、冒頭の文革シーンは第1部半ば以降の回想部分に目立たぬように織り込まれてしまった。
2014年に英訳版が発行されたとき、連載時のように文革シーンが冒頭に持ってこられた。英訳版はSF作家でも知られるケン・リュウの翻訳で、この翻訳によってSF小説界のノーベル文学賞ともよばれる「ヒューゴー賞」をアジア人として初めて受賞し、世界レベルのベストセラーになった。
早川書房の日本語版は比較的おそく2019年に出版。これも冒頭は文革シーンだ。ちなみに多言語読者によれば日本語訳版は中国語原作の緻密さと英語翻訳の読みやすさを兼ね備えた最も完成された「三体」という。

世界中が夢中になったこの小説の実写化の一番乗りは中国であった。3部作のプロローグに当たる第1部だけで30話を費やす大作だが、文革シーンがあるはずの第11話は通常45分の尺が33分ほどに縮められた。検閲によって文革シーンが全部削られたことを意味している。習近平政権になって文革の批判的表現はほぼタブーになったのだ。

【毛沢東のような個人独裁にまっしぐら】習近平は文革で父親・習仲勲が迫害され、自身も15歳で陝西北部に下放され厳しい労働に従事した。だが、下放の苦労が今の自分にとってプラスであったと語り、今の大学生たちにも農村で働けと訴えている。
文革については、「共産党の過ち」という表現を使わず「共産党の前進に必要なプロセス」と評価した。多感な時期に毛沢東思想のシャワーを浴び、それ以外の教養を得ることもなかった習近平は、高学歴、留学経験を持つエリート層や資本家に否定的である。そのため、外国に学ぶことを奨励し資本家を育成したトウ小平の改革開放の逆走路線に舵をきり、毛沢東のような個人独裁への道をまっしぐらに進めた。
より独裁を強固にするために(習近平は)昨年、「新時代の楓橋経験」(浙江・楓橋鎮で1963年に住民のみで治安維持を行った経験に基づく相互監視・密告システム、後に文革に応用される)をスローガンに打ち出し、今にも「新時代の文革」でもやり始めるつもりじゃないか、とまで言われるようになっている。
こういう状況で、ネトフリ版はリリースされた。第1部は8話で全24話。原作の舞台は中国で登場人物もほとんど中国人だが、そこを大きく改変し舞台は英国、キャラクターの造形や役割を融合したり分割したりして、アフリカ系、南米系、アジア系の移民系俳優が演じている。国際色を豊かにし、中国色を排除して、尺も短いのに、冒頭5分も文革のシーンに割いたのだった。

【中国の愛国的ネット民、ネトフリ版『三体』に噛みつく】中国の愛国的ネット民、通称・小粉紅(ピンクちゃん、ネット紅衛兵)たちがまもなく、一斉に、このネトフリ版をこき下ろし始めた。
「米国人が中国名作SF三体を散々改悪している」「小説中の文化大革命シーンをわざと大げさに表現して、中国を貶めている」「ネトフリはこのシーンを世界に発信したいために『三体』を実写化したのだ。皿のため餃子をつくるようなものだ」「中国が狂暴で野蛮な社会で、それを米国ら西側が救済してやる、というストーリーを発信したいのだ」「中国版実写化VSネトフリ版では完全に中国版の勝利だ」

中国でネトフリは見ることができない。もし見たとしたらVPNをかませてアクセスしたわけだが、今の中国ではそれは違法行為。だからこうした反応が一斉におきたのは、実際にネトフリ版を見ての素直な感想というより、一種の政治的アクションだろう。

正直いえば、ネトフリ版は冒頭5分の文革シーン以外、特筆するほどのインパクトはない。文革シーンを描きたいためにつくったと言われたら、そうかも、と感じるくらいに>(以上)

「冒頭5分の文革シーン」ために金を出して映画を見るのは小生の生き方ではないが・・・ところで文中にあった習近平の「新時代の楓橋経験」とは何か? 調べたら産経2023/12/22、桑村朋・東京編集局外信部記者の「習近平氏が復活させる文革の密告文化 毛沢東称賛の『楓橋経験』を奨励」があった。以下転載。(そう言えば福島香織氏も産経出身だ。みんな産経脳、小生もすっかり産経脳のよう)

<習近平総書記(国家主席)が今年に入り、毛沢東が称賛した人民同士の相互監視による治安維持手法「楓橋(ふうきょう)経験」の重要性を説いている。浙江省の農村が村民のみで反動分子を押さえ込んだ経験を指し、毛が主導した政治運動「文化大革命」の源流とされる。中国経済の低迷が顕著になる中、人民の反乱などの動きを事前に察知できる「密告文化」を奨励することで体制を安定させたい狙いが透ける。

【文革の源流】「新時代の『楓橋経験』を堅持、発展させる必要がある」。9月、習近平氏は浙江省諸曁(しょき)市楓橋鎮(村)の「楓橋経験陳列館」を訪れ、地元民に重要講話を行った。「党の大衆路線を堅持して人民の内部矛盾を正しく処理し、問題を基層(末端)で解決し、発芽段階で解消すべきだ」と、自治組織による治安維持の意義を強調した。
楓橋経験は1963年にこの農村で生まれた治安維持手法だ。当時の公安部長の主導の下、農民らが革命群集となって階級闘争を展開し、「敵」とみなした地主らの行動や思想信条を徹底監視。公安警察などに頼らずに村内だけで反乱分子を排除したとされる。
毛沢東は人民の力で治安を安定させた模範として称賛し、同年11月に全国展開を指示。手法は全土に広まり、66年からの「文化大革命」につながった。楓橋経験は、青少年の紅衛兵ら一般人が「反革命分子」を粛清して多大な犠牲を出した文革と「人民による監視」の点で酷似しており、文革の源流ともいえる。

【「楓橋式」団体を激励】中国が楓橋経験に言及するのは今に始まったことではない。2021年の共産党創建100年を総括した「歴史決議」にも中国式大衆自治の代表事例として紹介された。新型コロナウイルスを厳格な行動制限で押さえ込む「ゼロコロナ」政策でも、感染者特定のため相互監視の仕組みができた社区(地域コミュニティー)もあり、一部のメディアは「現代の楓橋経験だ」などと称賛した。
ただ、習氏は特に今年に入ってから意義をことさらに強調している。浙江省は習氏が勤務経験のある思い入れの強い地域だが、今年は何より楓橋経験から60周年であり、「建国の父」毛沢東の生誕から130周年の記念の年だ。同経験の重要性を説くことで党の歴史や統治の優位性を地方の末端まで浸透させ、毛と結びつける形で習氏の権威を強化する狙いも見える。
習氏は11月、「楓橋式仕事法」で秀でた成果を収めたとして、地域パトロールなどを行う全国104団体を北京で激励し、「平安中国」の建設に貢献するよう促した。今年は楓橋経験に関するメディア記事も多く、党理論誌「求是」は「中国統治の(優位性を示す)金の名刺だ」と称賛する論文を載せている。

【人民の反乱を警戒】相互監視の仕組みを強調する背景には、一党体制を揺るがしかねない事態への警戒がある。中国では不動産不況などから景気の不透明感が強まり、今年に入って地方銀行で取り付け騒ぎも起きた。ゼロコロナへの抗議が広がった「白紙運動」では一部で体制を批判する動きもあり、人民の不満はいつ爆発してもおかしくない状況にある。
習政権はこうした事態を防ぐため、言論を封殺する動きを強めている。国家安全省は今月、中国経済への批判的言説を処罰する可能性に言及。これまで交流サイト(SNS)での政府批判はすぐに消去されてきたが、言論封じ込めを一層強化しようとしている。それだけ、体制瓦解につながりかねない人民の反乱を恐れている証左といえる。

中国の民主化を主張する雑誌「北京の春」(本部・米国)名誉編集長、胡平氏は米メディアの取材に、楓橋経験は階級闘争の象徴だとし、「習氏は毛沢東時代の(文革のような)階級闘争を復活させようとしている」と指摘。同経験は全人民を監視する大衆を使った独裁手法であり、習政権が強調し始めたことは「政治的後退を示すシグナルだ」と分析している。
習氏が激励したように人民による監視団体はすでに存在している。各国の大使館や企業、メディアが集中する北京市朝陽区には「朝陽群衆」と呼ばれる市民ボランティアがおり、年間数万件の情報を公安警察に提供しているとされる。文革期ほどの過酷さはないにせよ、同類の階級闘争、密告社会が再び訪れる可能性もゼロではないのかもしれない>(以上)

中国は崩壊するか? 「隋」王朝(西暦581~ 618年)の2代目、煬帝の時代、日本は600年(推古8年)~618年(推古26年)の18年間に3~5回「遣隋使」を派遣している(WIKI)。最先端の文化、技術を入手するためと、「今の日本は隋の属国ではない、一人前の国家だ!」と主張するのが目的だったようだ。聖徳太子は挨拶状に曰く「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」と偉そうに踏ん張っているとか。煬帝は「無礼者が!」とたいそう立腹したものの、当時の内外情勢から日本を敵にしたくなかったのだろう、「欲しがるものは何でもくれてやれ」となったらしい。まるで毛沢東ソックリ、というか毛沢東が煬帝を真似たのかも知れない。

「隋」が滅びて「唐」になると日本は「もう学ぶべきことはなくなった」と外交への関心を薄めていったようだ。戦国時代=内戦で外交どころではなかったかもしれないが、鎌倉時代中期の1274年・1281年に、モンゴル帝国(元朝)および属国の高麗によって2度にわたり日本侵攻=蒙古襲来に遭った。秀吉が天下統一すると、今度は「西洋列強の手先となった朝鮮、中国」への進攻を進めた。
侵略されたり侵略したり、攻撃したり反撃したり・・・大昔から部族や国家は戦争を繰り返してきた。孤立を深める共産主義独裁国家の習近平・中国やプーチン・ロシアは「自分に都合の良い国際秩序を創らなければジリ貧になる」と危機感を持っているだろう。座して三流国になるか、それとも一転突破、全面展開の戦争で覇者になり延命を図るか。プライドの高い習もプーチンも当然覇者を目指す。それは多分「第3次世界大戦」となり、「共産主義国」は地球から消滅することになるだろう。
そうなっても「世界市民教」信者は無傷で生き残るから、一難去ってまた一難、愛国者は相変わらずブルーのままかも知れない。どうにかしてくれ!
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*読者諸兄の皆さま、御意見を! ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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