コミュ障すぎてROM専もままならないオタク
久々にキャラクターにハマった。しかし二次創作を見ることも大変だ。相手に承認されないと作品を見せてもらえないのだ。
私はその人の描く作品は好きだし、趣向も好きだし、当然キャラクターも好きなのだか、普段から好意を表現することを何もしておらず、承認のされ方がわからない。自分が好きだと語って的外れなことを言うのも申し訳のなく感じる。昔はただキャラクター図鑑を引っ張り出したり検索して誕生日さえ入れられたらよかったのに、今は難しい時代になった。
そんなモヤモヤを抱えていたら眠れなくなった。私はこの人生で、本当に何も作ったことがない。作ろうとしたことがあったが、絵は行き詰まりを感じたときに、身体の構造を勉強しようとしたら、想像以上に難しくてパニックになり、身体については諦めようと思ったが、いざ描こうとするとしなきゃいけないのに出来ないとパニックが再発するようになり、絵を描く行為は失敗に終わった。絵は私のように要領が悪いと描けないようなのだ。今でも未練がましく思うが、私が描きたい絵に私が行き着くことはないし、今は今で生活の作業もあり、別の勉強やこうした処理できない感覚の吐露などで気をつけないと腱鞘炎を起こすほど手は忙しい。この創作の出来なさは文字でも同じだった。あまりにすべてに同じ末路を求めてしまうので、文字での創作も非常に不向きだった。私は創作者になることに失敗した。
そうした自分の空虚さに押しつぶされそうだ。今の私はROM専のオタクすら出来なくなってしまった。作ることも消費することも出来ない。
社会は普通の水準を厳しくして生きづらくなったというが、オタクもオタクの水準がそれなりに上がってしまったように思う。何かをする悪ではなく、何もしない、できないことも悪にカテゴライズされやすい世界になってしまった。
私は本当にそのキャラクターも、そのキャラクターが取り巻く人間模様も、それらを汲み取った作者の解釈一致な作品も大好きなのだが、それを上手く言葉に出来ない。そしてあまりに長く悩んでいると、公式のそのキャラが好きなのか、二次創作のこのキャラが好きなのか、それすら不安になり、ますます言葉が浮かばなくなる。
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