スヤスヤ教にキレる人たちが怖い
つい最近インターネットでスヤスヤ教という存在が出来たようだ。そんなことはインターネットのよくある一時のノリではあるし、内容もそのくらい軽い内容ではあった。それでも不眠症の人が見たら自己嫌悪してしまいそうな宗教だなとは思ったが、やたらキレている人たちを見掛けるので怖い。大体暴言なので読んでて怖い。
スヤスヤ教という生まれの境遇というのは、あらゆる面倒事を断りたいという、時間の搾取や強制的な集団への参加などから身を守るために作られた意図があるように見える。いわば上記のような相手に自分の意図を察してその通りに動いて欲しいとか、自分のことを後回しにして周囲に合わせろとか、他の人間も苦労してるんだからお前だけ楽になろうとするなとか、理不尽なプレッシャーからの防衛から生まれたのは確かであり、いわば設立者が宗教を生み出すに至った元凶たちがキレている状況である。
ちなみに私は新しく宗教を作ることにはあまり肯定的ではない。自分で宗教を作ることを考えた時に、たとえどれだけ考え抜かれ、良心や慈悲によって生まれた宗教でも、人の手垢が付くうちにそこには人の集団が生まれて権力が生まれて搾取が始まってしまうと思ったからだ。自分の信仰がアイデンティティになると、自分の正しさの証明のために信仰していない人間を攻撃するようになってしまう。それだと救う為に作っても傷つける人間の数の方が後世に増えてしまうだろう。それはあまりにも悲しい事である。だから私は宗教や信仰、神であれ人であれ救おうとしたり道を示そうとした者たちの良心そのものは信じた上で、出来る限り宗教ではないどうにかする方法を考えていたい。きっと神も現代の文明や技術を見たらそれに合わせた言葉を紡いでくれるはずだと信じているのである。
怒っている理由が全く想像が出来ないわけでもない。私のように宗教の価値観から被害を被った人間にとっては宗教でどうにかしようとすることそのものには批判があるだろうし、不眠症の人間にとっては逆に追い詰められる原因にもなりかねない宗教である。そして今の戦争だらけの時勢で積み重なった悲しみや怒りをぶつけていることも少なくないだろうとは思う。正直宗教だけでなく歴史やらトラウマやらあらゆることが積み重なっているとは思うので宗教戦争の一言に出来ることでもないし、私がそれについてどうこう言えるほど特別知識があるわけでもないが、人類のどうしようもなさに対するやり場がなくて苦しい気持ちもあるだろうと思う。
私は人間でしかないので、結局文字をこうして書くしかないが、人は手を差し伸べようとできる範囲は個人差も限界もあるだろう。
それでも世の中には、常に他人に合わせてないと不安で耐えられず、一人でいることの正当性を持てないとか、常に自己否定に苛まれていて頑張っていないといけないと思っていて休めない人とか、家族や学校や会社などの環境から否定のメッセージを常に浴びている人など、本当に生き辛い人が数多くいるのだ。もしそうした状況を乗り越えたり、持ちこたえているとしても、他の誰かが苦しんでいるとしても、生きやすくしようという試行錯誤に攻撃をするのは控えてあげて欲しいと思う。人は自分が生きやすくなるために必要なものが誰しも同じなわけではないのだ。
長崎離島出身の無自覚キリスト教徒の母から虐待を受けていた身の上では、どうしても宗教には今以上の距離感の近さを宗教には持てないだろうと思う。私は無宗教の人たちとも、生まれながら明確な信仰を持った人たちともあるいみ同調が出来ないし入信させられてないから宗教二世とも呼べないだろう。そんな立場でどう言葉を重ねたら適切かもわからないが、眠れない人が自分を責めないでいて欲しいと思っている。
最後に、情報もあった方がお得感があるのでマジョラムのハーブティーをおすすめします。カモミールが飲めない私でも飲めてカフェインゼロです。
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