私はそれぞれに挨拶を憎んだ

私は挨拶という概念が嫌いだ。銃口を向けられたような緊張があるからだ。おはようと言われた瞬間、もし返事したらどうなるのだろうと不安になる。きっとこの人は普通の人なんだと思われるかもしれない、普通、普通、なんて忌々しい言葉なのだろう。普通という言葉に乗せて、何十何百というルールが襲いかかってくるのではないだろうか。もしこの挨拶の先に、何か言葉があったらどうしよう。何かをしろと何かをするなと言われるかもしれない。普通というリトマス紙で言葉の一つ一つを調べられるかもしれない。誰かとの悪口に利用されるかもしれない。怖い。

なんて汚いのだろう。ザラザラとしてて不安定な音程で、音量調整も出来なくて、なんて汚らわしい音を出すのだろう。私はこんな砂利を踏んだような音を聞きたいわけではないのに、もっと磨かれた美しい音を聴かなくてはならないのに。挨拶が気持ちがいいなんてまったく嘘偽りで出来ている。どうして私の気持ちがいいが相手の気持ちがいいに奪われなきゃいけないのだろう。挨拶なんて他人の頭に突然意味もなく侵入をする野蛮な行為だ。

挨拶なんてしたところで、どうせ私は嫌われる。どうせ私は普通に出来ないんだから、はやく私を嫌いになってよ。もう話しかけてこないでよ、お願いだから。私は貴方の期待に応えられない。

なんでそんな酷いことするの?どうにか外にいるのが精一杯で、会話する余裕なんてどこにもないのに。日光や血流のためであって、言葉なんて欲しくないのに。そこに立って歩いてるなら健康で大丈夫なわけでもないのに。これ以上私に侵入してこないで。

挨拶をすべきという文字を見ただけで怒りと恐怖で苦しい。どうせみんな私を嫌いになるのに。

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